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立ち止まれないからこそ

ちょっと立ち止まりたい、フリーライターのaoikaraです。

最近、悲しい出来事が多い。本当に多い。悲しいことを受け止めて、整理する前に、また違う悲しいことが起きてしまう。

ぐーーーーっとね、胸を押されたみたいにしんどくなる。深く深く呼吸をするようになる。体からすると、悲しみの許容範囲なんて超えているんだろうね。

そうすると、前の悲しさと今の悲しさをどうしたらいいのかわからなくて、立ち止まりたいなと思ってしまう。悲しみに向き合って、整理する時間が欲しいなと。整理できていない、いくつもの悲しみが今でもある。

でも、時間は過ぎるし、日常は送らなきゃいけないし、目の前にやるべきことはあるし。立ち止まれない。

でも、立ち止まらないからこそ、全て悲しみにとらわれているわけじゃなくて、楽しいこともうれしいこともあって、心から笑うこともできる。立ち止まれないからこそ、心を少しずつ取り戻していくのかなとも思う。

「立ち直って」とか「前を向いて」とか、言われるのは正直ごめんなんだけど、たぶん一番思っているのは自分自身にで、それでも生きていかなきゃいけないとわかっているから、立ち止まらないのかもしれない。

それが、急に、ぽきぽきって全身の骨が折れるみたいに、立ち止まらざるをえない、みたいにならないかって不安もある。今まで、そうやって立ち止まってきちゃったことが多いから。

だから、日常を送るのも大事だし、目の前のやるべきことに取り組む必要もあるけど、きちんと“悲しむ”時間も作らなきゃなと思う。心だけ置いてけぼりにならないようにね。

一つ一つ、過去のことだとしても、全部全部悲しい。つらい。よくわからないけど、私なんかがって思うけど、抱きしめられたらなって思う。抱きしめられる関係性でも、距離でもないのにね。

noteは私にとっては悲しめる場所であってほしいな、これからも。

2020年9月15日(火)

No.634

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