時の流れを空で感じて
この前夕陽を見た時間と、同じ時間に同じ場所に来たら、夕陽じゃなかった、フリーライターのaoikaraです。
それまでは薄暗くなり始める頃だったから、夕陽なだけでも「日が長くなったなぁ」と時の流れを感じていたのだけど、ついに夕陽でもなくなり、さらにまた日が長くなった。
比例するように暖かくなった。り、暖かくならなかったり。春は気分屋。
今日はもう薄くてひらひらした春の服に袖を通そうかとわくわくしていても、空を見て風を感じて、やっぱりやめておこうと今までと同じ厚手の服に替える。
少しずつやってきてはいるけど、まだ名ばかりの春。桜はもう散ってしまうのにね。
そうやって春を行ったり来たり繰り返していると、体が追いつかなくて、へたってしまうこともしばしば。知らず知らずのうちに、何かしらが積み重なって、体を沈めてしまうのよ。
気持ち的なことだけかと思っていたけど、身体的にもやってくる、これが五月病なのかしら。
それでも吹いた風はあたたかくて、吸い込んだ空気は清々しくて、ああ春だなと思ったことには違いなくて。沈んだ体にもまどろみの余韻を残してくれているから。
また同じ場所に同じ時間に行けば、もっと青い空が見られるのかしら。日差しを暖かいと思うより、暑いと思うようになるのかしら。少しずつ、でもたしかにやってきてる、でももう少し、春よ来い。
2021年5月9日(日)
No.867
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