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どこまで“私”を明かせるか

最近、あまり発信していないなぁ、と思うフリーライターのaoikaraです。

noteでは自分の内面をいろいろと書いているけど、Twitterとか見ると自分が思っていることというよりは仕事の報告ばかりで、私はどういう人間なんだろうってのが見えてこないな、と感じた。

意識して発信していないわけじゃない。無意識に、あまり発信しない状態に、今は落ち着いている。


でも、発信したいなとも思う。見たドラマやバラエティ、映画の感想を書くとか。思ったことをつぶやくとか。感じたことを意見として述べるとか。好きなものを「好き」と言うとか。全くしていないわけじゃないけど、多くはない。

発信をすれば、誰かとつながれる。交流も生まれる。もしかしたら仕事につながるかもしれない。仕事ではなくても、誰かや何かとつながるきっかけにはなる。人と人とか。自分の興味があるものとか。自分が興味がないものでも。

発信しなければゼロだけど、発信すれば0.000000001の影響力だとしても、ゼロではない。


何か思っていても何も言わないのと、何も思ってなくて何も言わないのは表面上は同じで、私は何か思ってはいるけど、傍から見ると何も思っていないみたいな状態になってる。

いろんなことが思い浮かぶけど、実際に発信しようかしないかで、圧倒的に「しない」を選んでいる。

「しない」理由の一つに、「自分を明かすのがこわい」がある。aoikaraというライターと、私個人とは、同じだけど棲み分けているところがあって。それは仕事もプライベートもそれぞれを尊重するために必要なことだと自分では思っていて。

だけど同じ人間だから、仕事にプライベートな私も入ってくるし、プライベートに仕事の私も入ってくる。aoikaraという名前だけど自分の素はたくさん出しているし、仕事のスケジュールで動けばプライベートにも影響するし。

でも、全て重なり合ってしまうのが、こわい。それぞれの場所を守りたい。伝わるかな、この感覚。

となると、少しでも重ならないようにと言うことも選ぶわけだから、そりゃ発信も減ってしまう。

だけど、きっとほかの人から見れば、自分を隠している人に見えるんじゃないかな。私はやましいことがあるわけでもないし、隠しているわけでもないけれど。noteなんかは、自分の内面をものすごく明かしているし。

でも、たしかに、限られたものだけ見せている自覚はある。

“隠している”ように見えてしまうと、なんというか、明かさない人間って信頼できないと思われるんだろうなと。つながりも限られてしまうんだろうなと思う。


だから今、aoikaraとして自分をどこまで明かそうか、迷っているし考えている。ライターとしての可能性を広げるために、もっと自分を明かした方がいいんじゃないか。

独白とか告白があるわけじゃないよ。隠していることがあるわけじゃない。中卒ってことも明かしているし、プライベートもそれなりにいろんなことを書いている。

ただ、これからもなのかな。一人なら抱えられるけど、誰かとか、人数が増えていけば、責任を一緒に背負わせることにならないかしら。


だけど、明かして可能性を広げたいという思いもあって……考えている。うん、考え中。答えは出てない。それが今のリアル。さて、どうしようかなぁ。

2021年4月20日(火)

No.848

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