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感情の置き場所があれば

感情を全部書きだしてみた、フリーライターのaoikaraです。

知らず知らずのうちに自分の感情を見過ごして、だけどたまっているものはあって、あふれ出して、でも感情の正体がわからないから対処のしようがない、ってことがときどき起きる。

だから、あふれ出す前に、定期的に感情を出すことが大切だと自覚している。そのために自分のためだけの紙の日記もあるけれど、最近はずっと白紙。感情を出す暇がない。

あとは感情を出す労力がない。感情を出すのってエネルギーを使う。えいやって踏ん張る必要がある。そのエネルギーは別のことに注力していて、感情を出すのに使う余裕がない。

とはいえ、歯止めがきかなくなる前にと、自分自身の感情を出してみることにした。


思っているけど誰に伝えるわけでもない、自分の考えや気持ちを、誰に見せるわけでもないものに書きだしていった。どろどろした感情を書きだした後に、虚無感に襲われた。

「私は何と闘っているんだろう。どうして、自分のことではないことに考える時間を使ってしまっているんだろう。なんだかとても非生産的だ」

だけど、自分が抱いた感情を否定したくなくて、自分の気持ちに近い言葉をネットで見つけて、心の中で正当化しようとしている自分にまた残念な気持ちになった。結局、その言葉たちは私の手で消した。


同時に、この感情を誰かに伝えなくてよかった、とも思った。私のどろどろした部分をいくら覆おうとしても、たぶんどろどろが染み出して、嫌な感じが伝わる。

でもきっと、こうやって自分だけで自分の感情を見てみる前に、周りに誰かいたら自分の感情を伝えてしまっていることの方が多い。そのまま流されてしまえば、感情によって誰かの心が荒んでしまっていても、私は気づかないかもしれない。

きっとわかっているから、私はいろんな感情をあまり出さないようにしているのだろう。誰かを傷つけるのも、誰かに傷つけられるのも、こわいから。

でも、感情はきっと出すものだから、ずっと自分の中に留まらせていると、あふれ出す。ふりだしに戻ってしまった。


感情の置き場所があればいいなと思った。確実に自分のもので、捨ててしまうことはできない。感情のゴミ箱はない。だから、預かってくれるような置き場所。駅のロッカーみたいな。

少し自分から手放して、じっくり観察できる余裕があったら取り出して、伝え方を考えてみたり、違う感情が出てくるのを待ってみたり、できたらいい。

物理的に感情を置く場所はないから、きっとみんな自分の心の内で上手に整理整頓しているのだと思うけれど。そんなイメージを持って、感情を取り扱っていけたらいいな。

2022年3月5日(土)

No.1156

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