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頑張ってない人なんていない

またもやアイドルオーディションにハマっている、フリーライターのaoikaraです。

まずはじめに、8,000回のスキありがとうございます。わーい。

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前置き終わり。


毎年、私は何かしらのアイドルオーディションにハマっている。今年ハマっているのは、ただいま放送中の『PRODUCE101 JAPAN 2』。アイドルを目指す101人の男の子たちの中から、投票によって11人が選ばれる、サバイバルオーディション番組。

2の前には1もあった。元々は韓国の番組で投票はできなかったけど、日本版は投票できるのがうれしくて、前のめりで番組を見ていた。推しもいて、毎回リアルタイムで視聴し、毎日投票もしていたなぁ。

2では少しライトな視聴者になった。時間があるときに見て、気になる子に投票するくらい。だけど回を追うごとに思い入れが強くなって、最終回までにまたどハマりしそうな予感もある。


パフォーマンスする姿だけでなく、練習中の姿もずっとカメラで撮られていて、表も裏も見られる。

大勢の中から目を引くスター性や、歌やダンスのスキルとパフォーマンス力、裏側まで見られても応援したくなる人間性、熱量のある大勢のファンがつくとか、人気アイドルになる条件を見極めるには良い制度のオーディションだと思う。

101人という大人数で、今は60人に選抜されているけど、それでもパフォーマンスまでの練習中にはいろんなことがあって、人と人がぶつかることもある。視聴者の間で議論になることもある。

表に出る仕事をするなら大勢に議論されるのは仕方がないにしても、「頑張ってない」だとか、人格まで否定する言葉は投げなくてもいいんじゃないか、と個人的には思ってしまう。心がヒリヒリする。


たぶん全員頑張ってる。自分の夢を叶えるためにオーディションに参加している時点で、ものすごく頑張ってる。

たくさんの人の中からさらに抜きん出るには、人一倍努力をして、最高のパフォーマンスを見せられる人にならなきゃいけない。見せる仕事である以上、頑張った上で、結果も出さなきゃいけない。

でも、結果が出なかったからといって、別に頑張ってないわけじゃない。結果が出た人だけが頑張っているわけじゃない。みんな、頑張ってる。

誰だって、頑張っているときと、頑張っていないときがある。昨日は仕事を一生懸命したけど、今日は休みだしだらけちゃお、とかある。

人によって頑張れる量も違う。同じ量を頑張っても、表現できるかどうかもまた違う。努力できて、表現できれば人を魅了できるけど、頑張りへの評価はイコールじゃない。

映像に収められているのだって、その人のたくさんの中の一部。1%にも満たないくらい。もちろん、その少しの時間で人を魅了できるなら、スター性があるといえるんだろうけど。

でも、結局はどこにフォーカスが当たっているかに過ぎない。行動や発言について意見をするのはいいにしても、そのまま人となりを否定したり、「頑張ってない」と評価するのは、厳しいなと個人的には思ってしまう。


だって、自分に置き換えてみたら、とんでもないことだもの。人生を賭けた夢のためとはいえ、大勢の人の中で、人間関係を作っていかなきゃいけないし、常にカメラの前にさらされて、厳しい先生もいて、ずっと緊張状態。

いつもと同じ日常を過ごしていたって、怒ったり泣いたりする。さらに緊張状態で、寝る間も惜しんで練習を続けて、そりゃあ感情が高ぶったり、至らない部分が出てきたりはする。

しかも、10代とか20代の若い子なんだから、未熟で当たり前。ここで成長していくんだから。

プロになりたいなら言い訳なんてダメだと諭す参加者もいて、間違っていないし、ものすごく立派だと思う。でも、それは練習生同士の対等な立場だから言えることで、ただ見ている側として同じ厳しい言葉を私は投げかけられない。


あくまで、私はって話で、誰かにやめてほしいって意味でもない。

誰かを傷つけるとか、本当に悪いことをしたときまで、全てかばって全肯定しようって呼びかけでもない。それは違う。全否定はしてほしくないけど、だからって全肯定してってわけじゃない。

否定意見もその人の考え方だし、否定するなと言いたいわけでもない。いろんな意見は出てもいい。

ただ、みんな頑張っているんだよな、という前提条件はあってもいいんじゃあいかな、と思う。だって、頑張ってない人なんていないから。みんなみんな頑張ってる。

だからこそ、頑張ったとキラキラ輝く姿を見たとき、誰にだって目と心を奪われて、うれしい気持ちになるんじゃないかと思う。とにかく、みんな本当にえらいよ。

2021年4月30日(金)

No.858

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