なぜ「歌いたい」と思うのか

ポルノグラフィティの「サウダージ」を歌えるようになりたいと思った、フリーライターのaoikaraです。

きっかけは、THE FIRST TAKEを見て。

岡野さんの歌声と、切ないメロディと歌詞が、想像以上に私の心にざわざわと響いた。なんだ、なんだこれ。

人生の中で何度も聞いたことがある、知っている曲。音楽番組で、学校の放送で、友だちがカラオケで歌って、店の中で、ゲレンデで…。

でも特別にファンだというわけではない。特別な人との思い出の曲というわけでもない。おそらく能動的に聞いたことは一度もない。だけど人生で何度も聞いたからか口ずさめるし、私の中にたしかにある曲。すごく不思議。

そして歌いたいなぁと思って、耳と頭に残るように、公式のMVを繰り返し繰り返し聞いている。

なぜ私は歌いたいと思うんだろう。好きな曲なら、いいなと思う曲なら、歌わなくても、聞けばいい。

実際、最近はまっている別の曲を何度もリピートしている。ときどき口ずさむ。だけど「歌いたい」わけではなく、「聞きたい」だ。「歌いたい」欲求とは明確に違う。

歌って自分の思いを届けたい、というわけでもない。それだったら歌詞を書いて、メロディを作って、自分の思いを歌にするだろうから。

歌声を聞かせたい、わけでもない。自分の歌声に自信はないし、聞かせる相手もいない。

欲求の正体を探ろうとすればするほど、ただ「歌いたい」だけなんじゃないか、という実感に近づいていく。


ずっと知っていた曲だったけど、改めて歌詞を読み、メロディを聴くと、今まで気づかなかったことに気づく。こんなに切ないかと。

だけど自分は知っていたはず。聞いていたはず。でも今ようやくわかった。その不思議な感覚が妙に心地いい。

そして、歌えたら気持ちいいだろうなぁ、とも思った。正体のわからない「歌いたい」の正体は、ただただ「歌いたい」なのかな。

歌えるようになりたいな。

2021年10月21日(木)

No.1032

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