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212.子供の頃は「清き一票」の意味がわからなかった、2019年7月21日(日)

子供の頃にも選挙で投票したことがある。学校の児童会選挙とか生徒会選挙とか。ポスターを作ったり、選挙活動をしたり、本物の選挙さながらにやっていたなぁ、という記憶がある。

そんな選挙でのこと、子供の頃の私が気になった文言があった。

「清き一票をお願いします。」

学校の中ではない、実際の政治の選挙でも、選挙カーから「清き一票をよろしくお願いします!」なんて聞こえることはたびたびあった。聞き慣れているし、見慣れている言葉でもある。

でも、私は「清き」という言葉を使う理由がよくわかrなかった。「清き」とは「きれいな」とか「きよらかな」という意味で理解していた。川のせせらぎとか、そんなイメージ。

だから、「“きよらかな一票”ってなんだよ!」と不思議に思っていた。“票”と“きよらか”がイメージとして結びつかなかった。理解できなかった。「大切な一票」の方がよく理解できた。


大人になった今は「清き一票」という意味はわかる。不正のない、汚れのない、純粋な一票ということ。「清くない」ことも世の中にはたくさんあると知ったからこそ、「清き」を概念としてきちんと理解できるようになったのかもしれない。

別に私が子供の頃、清い人間だったとも思わないけれど。素直さはあるし、正義感もあったけど、いたずらもするし、嘘もつくし、全然清らかな人間性ではなかった。

でも、「投票」に関しては「清らかではない」という概念はなかったんだろうなぁ。そんなものがあるとも知らなかった、というか。どうしても「清き一票」の意味がわからなかったのは、一票とは「清い」ものだと思って、そうではないものが理解できなかったからかも、と今になって思う。


というわけで今日は参議院選挙。清き一票を投じてきたよ。これが若者の一票だ、政治やら世間やら社会やら、私の一票を受け止めるがいい!って気概はあるけど一票ね。重い一票かはわからないけど、ちゃんと清いよ。

今日は一生分の「清い」を書いた気がする。

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