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あまのじゃくな私の休日

今日は良い日だったのか、悪い日だったのかと聞かれると、まあまあだったのではないかと思う、フリーライターのaoikaraです。

今日は休みの日ではあるけど、仕事が立て込んでいた。ゆるりとしたペースで仕事をしていたので終わらず、明日のスケジュールを立て直している。遅れについては予想はしていたので、根詰められている感覚はなく、意外とゆるりとしている。


「ああ、疲れたな」と思うのだけど、私に「今日は疲れたよ」という人がいると、私は自分の「疲れたな」を引っ込めてしまう。「今日は疲れたよ」に対して、「私も疲れたよ」と返してしまうと、共感というより対抗しているように受け取られないか心配で。

「今日は疲れたよ」に対して、「そうなんだ、お疲れ様。どうだったの?」と疲れた気持ちをとことん聞かないとなと思ってしまう。そうすると、私の「疲れたな」はどこへ持って行こうか。そうやって引っ込めて、積もり積もって動けなくなることがしばしば。

書きながら思いついたのは、相手の話を一通り聞き終えたら、「実は私も疲れていてね」と、攻守交代するのはどうだろう。「お互いお疲れ様だったね」であれば、対抗ではなく心地よい共感になるのではないか。今度やってみよう。


そんな「疲れたな」をどこに置こうか迷っていたものだから、「良い日」とは言い切れない気がして。でも、「悪い日」とも言い切れない。

今日は考え事をして、自分なりに打開策になるような考え方を導けたから、少しスッキリとした心地でいた。すると偶然、とある人が言っていたことを目にしたら、私の考えとほぼ同じことを述べていて、うれしくなった。

「私の考えは間違っていなかったんだな」という、自信のような気持ちに近い感覚。とはいえ、私の考えは普遍的なことであるし、多くの人が思いついていそうなことだともわかっている。

でも、思いついたその瞬間に、偶然目にしたものが一致していたら、なんだか良い気分になった。


きっと、私はあまのじゃくなんだろう。良い日と思うともやもやを思い出し、悪い日と思うと心地よさを思い出し、どちらもしっくりと来なくて。なんだったら、正直「まあまあな日」もしっくり来てはいない。

でもまあ、今日はそういう日だ。

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