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恋に落ちない理由は自分にある

一年以上、恋をしていない、フリーライターのaoikaraです。

なんとなく、自分は惚れっぽいのではないかなと思っていたので、こんなにも恋をしないことに自分でも驚いている。

前の恋が終わってしばらくしてから、新たな恋でも探そうかなと思ってみたのだけれど、何もない。元来、誰かと会いたいという気持ちと行動が伴わない性格で、「誰か会いたい人に出会えれば」と思って行動してみたけど出会わなかった。

とても、すごく、「会いたい」と思える人がいなかったので、誰とも会ってもいない。恋を始めようとしている人間の心持ちと行動とは思えない。


こんなにも心が動かないものかと、自分でもびっくりした。というより、引いた、に近い。好感を持っていた人はいる。素敵だなと感じる魅力がある人も。決して選ぶような気持ちなんかじゃない。人として、人と向き合う気持ちで。

だけど、恋愛としての「好き」ではなくて、ただ人と人としてでもいいじゃないかと思うけど、名前のない関係性というのは誰とも続かなかった。よくわからない関係は、そのうちにだんだんと居心地が悪くなってしまうのだろうか。


「人を好きになれない」と、感じた。相手に魅力がないわけではない。素敵な人はすごくたくさんいる。私が、今誰かを好きになれる状態にないだけだ。

今、人として、女性として、自分自身に胸を張れるかと言われたら、少しもうなずけない。全く以て、人としても、女性としても、自分自身のことが魅力的だと思えない。

人として、自分をフォローするなら、犬のそばにいる自分は好きだ。だけど、恋愛で魅力的に映ることは少ないというのもわかる。犬の介護をしていたって、だから好きになる、なんてことはない。そして、恋愛で魅力的に映るために犬のそばにいるわけでもないから、わざわざ犬のことをアピールしたくない、という面倒くさい気持ちもある。

とにかく、今の自分が好きじゃない。だから、今の自分で誰かに会いたいと思えない。誰かを好きと言える自信もない。恋愛できる準備ができていない。


と、いうことは、ずいぶん前からわかっていた。誰か好きになれば、好きに近い淡い気持ちを抱けば、変わろうとする努力をするんじゃないか、と期待していた。他力本願すぎる。下心よりもっと下心。

でも、結局他力本願だから、何も変わらない。そもそも、好きになるのに自分でブレーキをかけてしまう状態。「好き」がわからなくなる状態。誰かを想って努力する、その前段階からもうつまづいている。


じゃあ、自分に向き合おう、としてみたけど、結局は怖い。孤独感が押し寄せるときもある。私には誰もいないんだなと。

努力したいけどできない。傍から見たら努力をしていない。その通り。頑張りたいけど頑張れない。傍から見たら頑張っていない。

自分を愛せない人が、誰かから愛されるわけもなかろう。昔は、誰かに愛されることで劣等感を埋めていたけど、今は劣等感を上回る羞恥心で、恥ずかしくて仕方なくて、愛されることにも飛び込めない。


独りの人はこういう人なんだ、というのが私のことだ、という見本みたいだ。変わりたいけどね、変われないんだよね、どうしたらいいんだろうね。

2023年7月17日(月)

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