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No.553 「いいとも」だって終わったのだから

一つの終わりを迎えた、フリーライターのaoikaraです。

悲壮感はないです。ただただ、ありがたいなあという感謝の気持ち。

ずっと終わる終わると言われていた「笑っていいとも」が本当に終わったとき、何にでも「始まりがあれば終わりがあるんだなぁ」と実感した。そこから、さまざまなことが“終わり”を迎えて、ショッキングだった。テレフォンがつかない、ショッキングだった。

生まれてきてから当たり前だと思っていたものが、なくなってしまう。人生は“終わること”の連続で、いずれは私だって終わってしまうのだけれど、わかってはいるけど“ロス”にはなる。

でも、生きていくために、何か別のもので埋めて、失うたびに埋めるのが上手になって、そうやって生きていくんだなぁ、と思う。どこかで“失う覚悟”をしているかのようにね。

とかまあ、こんな風に達観していたらいいけど、もっとジタバタしてるんだよね。自分だって、自分の大切な人だって、終わりはあるけど堪えられない。受け入れなきゃいけないのかね、想像しただけでしんどい。

失ってもいいようにと逃げ道を作っておこうとか、打算的にもなるし。それは賢いのかな。素直に「賢いな」と言えないね。心の中で覚悟を持っておこうみたいな、きれいじゃない覚悟ね。

だから、それがあるときに大事にしなきゃだよね。何でもね。失ってから、終わってから気づくってことも多いしね。わかってるけどね、忘れちゃうのも人間だから。失ってから「大事だったな」ってなっちゃうの。

だから、好きな人には好きって言うし。大切な人には大切って言うし。家族との写真も、もっとたくさん撮っておこうと思ったね。思い出せる欠片はいっぱいあった方がいい。失って、自分の中からも消え去ってしまうのが怖いから、消え去らないように“形”にしておきたいから。

重大な別れを迎えたわけじゃないけど、“終わり”があってちと感傷的になった。大丈夫、元気。とにかく、必ず終わるからこそできることを考えていきたいな。

2020年6月24日(水)

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