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ちゃんとしてない私を笑って

「ちゃんとしなきゃ」が口癖だった、フリーライターのaoikaraです。

今も、どこかで思ってる。ちゃんとしている人はこんなことは思わない。私はちゃんとしていない人間で、ちゃんとしていない人生を歩んできた。

高校は途中でやめてしまった。その後にも予備校だの専門学校だのに行ったけど、また同じように途中でやめてしまった。寮生活や一人暮らしも続かなかった。ダイエットだって何度も繰り返している。

そうやったちゃんとしていない自分に出会うたび、次こそはと一歩踏み出して歩いて行くときに「ちゃんとしなきゃ」と呪文のように唱えてる。

だから、“ちゃんとした人のフリ”はうまくなってしまったように思う。「ちゃんとしてるね」と言われることもたびたびあるから。でも、“フリ”だから私は「いやいや」と言葉で否定する。

謙遜なんかじゃないんだ。本当に心の中でも同時に「いやいや」と否定してるんだ。「ごめんなさい、本当はちゃんとしていないのに、ちゃんとしているフリをして」と思ってしまって。


ちゃんとしていることも、あるあるにはあるんだ。毎日同じスケジュールで過ごして時間通りに生活しているし、仕事も家事もサボらない。ノルマを決めて、達成するよう取り組んでいる。仕事での納期は守る。誠実に、誠意を持って、取り組んでいる。お金の無駄遣いはせず、コツコツと貯めている。

そうやって外面をかためていると、「ちゃんとしてるね」と言ってくれる人はいる。たしかに、それは私のちゃんとしている部分だけど、ちゃんとしていないからやっていることで、中身を知って失望しないかしらと不安になる。

昔、学校にランドセルを忘れたことがある。今でも、それくらいとんでもないものを忘れたりする。部屋は乱雑。片付けが苦手。おしゃれをサボっていたから髪を巻くのもおぼつかない。ふざけたことを口走っちゃうし、乗らなくてもいいことに乗っちゃうし。ボディイメージが悪いのかすぐに体をどこかにぶつけるし、一週間前には頭を机にぶつけて、今は覚えてないけどひざに青あざができていて、痛い。

あーあ、なんかもうね。こういうの一つ一つ、自分はとっても残念だなってなっちゃう。

だから、一つ一つちゃんとしてなさは解決しようと、してるんだ。知らないことは知ろうとして、できないことはやってみて、ちゃんとに変えていきたいから。

でも、本質で変わらない“ちゃんとしてなさ”もあって、それはなんとなく変えたくないって気持ちもあって。複雑。

ちゃんとしている部分と、ちゃんとしていない部分、たぶんどちらも私で、どちらが本当の私とかじゃないから、どっちも大事。

だからこそ、ちゃんとしている部分だけ見られていると、不安になる。ちゃんとしてない私を見て、嫌いになるんじゃないか。幻滅するんじゃないか。そして、ちゃんとしてない部分を取り繕うとして、どんどん私じゃない私になっていきそうで、こわい。


だから、ちゃんとしてない部分を笑ってくれたらすごくうれしいんだ。私はあまり話し上手ではないけれど、家族といるとすごく楽しく話せて、自分が話し上手なんじゃないかって錯覚するくらいで、笑ってくれるんだ。取り繕ってない、自分らしい自分の姿を認めてくれて、受け止めてくれたようで、その笑い声にすごくほっとする。

同じようにね、ついぽろっと、私のふざけちゃう部分がひょっこり出たときね、本当におかしいな~って感じで楽しげに笑ってくれる人がいて。そのときすごくうれしくて、安心して、ちゃんとしてない部分を受け止めてくれたような気持ちになった。これがね、これもね、私なんだよ。

ちゃんとしてないけど、ちゃんとしたいと思うけど、ちゃんとしてなさも私として生きていきたいから、そしたら笑ってくれたらいいな。笑いものじゃなくて、笑い合えたらいいな。

2020年11月26日(木)

No.705

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