先が見えないとき
ときどき、未来のイメージが全く浮かばないときがある、フリーライターのaoikaraです。
お先真っ暗とか、未来に絶望しているわけじゃない。ただ、想像がつかない。「こうなりたい」「こうしたい」はふんわりとあるけど、そのために具体的に何をしようとかなくて、リアルじゃないというか。
将来像じゃなくて、空想とか妄想に近いのかな。
「こうなるかもしれない」というのはある。自分自身や、関わる人たち、周りの環境を考えると、なんとなくの道筋はある。その道が変わることも大いにあり得るとしても。
その道を受け入れて、「楽しそう」とか「ためになりそう」とか、最初は高揚感がわいてくる。チャレンジするのいいね、みたいな。
でも、しばらくすると落ち着いて、「本当にそうなるの?」と疑ってしまう。というか、疑いたくなる。
受け入れられたフリをしたけど、たぶん自分に合ってないって思って、結局今の自分が居心地いいと気づいてしまう。
で、何もしない。何もしないは言い過ぎだな。今すべきことをする。今を忙しく過ごすのは、先を考えるのがこわいからだと思う。今忙しければ、先を考えない言い訳ができてしまう。
年齢としてはまだ若い。これから先、まだまだ人生のライフイベントが待ち構えているのかと思うと、立ち向かえるエネルギーがあるんだろうかとこわくなってしまう。単純に体力もないし。
残りの人生はこのスタイルで生きていきたい、みたいな、老後のように構えている。けど、これから先はあまりにも年月が長すぎるから、同じスタイルを貫くのは無理。
まだ挑戦しないといけないし、まだたくさん失敗しないといけない。
だからといって人生の行き着く先を、落ち着いて見据えられてはいない。私の大切な人も、いつかはいなくなる。自分という存在もなくなってしまう。あたりまえの現実だけど、こわい。道中も、道の終わりも、こわい。
で、ジタバタしてる。考えなきゃと思うけど、考えないようにしている。嫌なんだけどね。本当は考えたい。だけど頭はもやーんと、ぼやーんとしている。
失敗がこわいんだろね。いっぱい失敗したしな。でも話しながら「書くネタになるよ」と言われたたしかにと思った。人生の最悪も、ここに書いたろうじゃないか。
好きなものを好きなだけ食べて、全ての疲れをそぎ落としてくれるほど深くて長い眠りを終えて、頭がクリアになったら、もう少し考えさせて。
2021年4月24日(土)
No.852
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