No.431 「怖い」「怖くない」を行ったり来たり

コロナが怖い。日に日に怖くなっていく。昨日よりも、今日はもっと怖い。

私は元々心配性で、物事を悪く考えるタイプだから、1月から外出するときは必ずマスクをしていた。予防法を調べて、マスクの付け方や手洗いの仕方まで記事にした。もちろん正式な情報を精査しながら、人の広めるためというより自分が知りたくて調べてまとめた。

「絶対に日本でも広まる」とは思っていたけど、どこか本気ではなかったかもしれない。だったら家から出ないはず。私は最初に怖がり始めてから今までも、それなりに外出している。

便宜上どうしても外せない用事のときは言い訳もできるけど、基本は在宅ワーカーだし、友達とか恋人とかと会うためとか言い訳できない理由もあるから、なんだか罪悪感がある。

悪いことをしているわけじゃない。でも、「おとなしく家にいたらいいのに」と思ってしまう自分もいて、そう責められてしまうかもという怖さがある。だから先に自分で責めておく。誰かから責められてもダメージを受けないように。

今日の午前中は本当に怖かった。午後になって怖さは少し落ち着いた。少しだけ怖くない。怖いのは前提で、少し和らいだ。

コロナの流行自体は何も変わらないのに、要は私の気の持ちようでしかない。「怖い」のも本音。「怖くない」わけはないけど、どこか本気では怖がっていないから、自分の都合だけで外出できてしまうのだと思う。

もちろんマスクは正しく使うし、咳やくしゃみはしないし、手洗いもしっかりするし。ってこれは言い訳でしかないんだけど。でかけなきゃいいのだから。

得体が知れないから、漠然とした不安が自分の中で大きくなったり小さくなったりする。私は何が「怖い」のか、「怖くない」のか、考えてみよう。


「怖い」

自分が感染したら怖い

一番最初に怖かったのは、自分が罹患したらどうしようという気持ち。致死率は2%で、私は低いとは思わない。20代という年齢だともっと低くはなるけど、ゼロではない限り可能性はあるのだから。

とはいえ軽症の人も多いと聞き、免疫力を高めて悪化しないようにしようと考えていた。

でも、20代でも重篤な患者が出てきた。割合としては多くないのかもしれないけれど、現実としていることを見せつけられた。「数字の上では少ないよ」というのは、むしろ「絶対にならないわけじゃないよ」だけで、私は自分の中で恐怖心を大きくしてしまう。

一応は若者の私も他人事じゃないなと思って、感染するのが怖くなった。


自分が移してしまうかもしれないのが怖い

これがすごく大きい。自分が感染しても、決定的になるまでは隔離されないし(自ら引きこもっても限度はあるし)、その間に誰かに移してしまうかもしれない。

私が気づかず保因者になって、誰かに移してしまって、その人が重篤な症状になったり最悪の場合に亡くなってしまったりすることだってあり得る。それが怖いしつらい。

だから私はマスクをする。予防にマスクは意味がない、咳やくしゃみが出る場合に相手に移さない方法としては有効だ、なんて話も見かけたけど(私が調べた話だから正確な情報かどうかはわからないことをご了承ください)、自分が移されないためだけじゃなくて、移さないためにも私はマスクをする。

運が良いことに、売り切れるずっと前からマスクをストックしておいたので、外出するときにはマスクができる。でも、どこにも定価で売られていないよ。だからマスクをしていない人を責められない気持ちもある。


情報が得られず怖い

北海道内で感染した人の情報は、北海道庁の公式サイトで掲載されている。

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/hf/kth/kak/hasseijoukyou.htm

毎日何度も更新ボタンを押してしまう。新しい情報が入ってくるかもしれないと思って。今日はまだ更新されていない。休みだしね。仕方ない。サイト

最初の例は文書でもまとめられているけれど、この3連休は報道発表資料のPDFのみ。

会見で明かされた詳細についての記載も資料やサイトにはなかったりする。感染者のその後の経過もわからない。

北海道庁のTwitterも見てみたけれど、このPDFとかこのサイトのリンク先が貼られているだけだった。

もちろんテレビとかネットニュースで概要を教えてはくれるよ。でも、詳細じゃない。情報を一覧としては見られないし。積極的に情報を探そうとして、ホームページもリンク先のリンク先で、やっと見つかる。

自治体ごとに発表の仕方も違っていて、知りたい情報を得られるまで時間がかかる。自治体ごとに発表しているなら、北海道は自治体の発表のリンクも貼ってほしい。

要は情報が全然得られない。情報発信の量が少ないし、調べたらようやく見つけられるって感じで、手が届くまで遠い。

新聞でもテレビでもラジオでもネットニュースでもTwitterでもLINEでも、今はいろんな媒体があるよ。積極的に知らせてほしい。

私が調べたことを伝えても「え、そうなの?」みたいに言う人もいるし、情報が不確かなウワサも聞いた。それだけ正しい情報を手に入れづらいというか、受け取りづらいというか、情報発信のやり方が良くなってほしいなとは思う。

記者会見の内容を道庁のTwitterで発信するだけでも違うと思う。感染者ごとにツイートすれば、その後の経過もリプライで続けられる。プライバシーの問題等があって難しいのかもしれないし、感染者が嫌がるならすべきではないと思うけれど。あとは記者会見の映像は公式サイトでも貼ってほしい。

今は休日だし、平日だとしても緊急事態で人の手が足りないのだと思う。休まず働けとは一切思わない。休まなければ体力が落ちて、免疫力も落ちるし、それではそれこそコロナで倒れてしまう。心身は大切に、でもやり方は模索してほしい。


感染したときに対応がわからず怖い

漠然とした不安の一つ。自分の住む場所ではどうなのか調べて、マニュアル化しておこう。厚生労働省が、新型コロナウイルス感染症情報のLINE公式アカウントを開設してるから、そこから一般的な情報は得られそう。通知とかはなくて、調べる専用って感じ。一応追加しておいた。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html


「怖くない」

外出する決断に自分を納得させるため

できるだけ外出は控えたいけれど、仕事だとかいろんな用事があって外出しなければならない。本当は怖いけど、でも外出はしなければならなくて、自分を納得させるために恐怖心を鈍らせている。人間の本能なのか、私自身の甘さなのか。


生存者バイアス?

生きるか死ぬかという場面でも、生きるための行動せずにいるのは、「まあ、大丈夫だろう」「生き残るだろう」という生存者バイアスが働くからだと聞いたことがある。

「怖くない」と思いたいのも、どこかで「まあ大丈夫だろう」と思うからだ。というか、思いたいからだ。生きていきたい、助かりたい、だから「生き残れるだろう」と思う。

でも、「まあ大丈夫」のどこに根拠があるんだろう、と自分自身にツッコみたくなる。同時に「大丈夫じゃない」の根拠も何だろう。


私の「怖い」も「怖くない」も、結局は何の根拠もないから行ったり来たりするんだ。根拠のなさを誰かのせいにはしない。私がもっと調べて正しい情報やデータを得て考えれば良いけど、それをしてないだけだし。

新しい病気だから、わからないことが多い。過去の病気の事例に全てを当てはめるのは難しい。

だから、とにかく今は病気についてデータと情報を更新していくことが大切なんじゃないかと思う。更新されるたび、状況も変化していくわけだから、“適切な判断”も更新していく必要がある。


あと、感染した人に責任はないと思う。病気になった当事者に理由があったとしても、今苦しんでいる人に責任は求めるべきじゃない。

だから感染者を“加害者”扱いしないでほしい。苦しんでいる“被害者”なのは間違いないんだから。

「移されるかも」と怖くなるから感染者の動向に対して敏感になるのは理解できるけど、それは自分目線の話でしかなくて、感染した人がつらいに決まってるんだから。


怖いね。怖いよ。すごく怖い。麻痺させようと怖くないとも思いたがってる。どうしたら良いのかわからないからだと思う。今ある気持ちを書くことだけしかできないね。

2020年2月24日(月)

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