上も下も、見過ぎていると首の後ろが痛くなる

首を回るとごりごりっと音がする、フリーライターのaoikaraです。

パソコンばかり見つめている仕事の職業病かなぁ。


今日はnoteのうれしい話。なんと200日連続でnoteを書いているよ!

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noteチームに驚かれちゃった。もう600日以上続けてはいるんだけど、忘れてしまった日とかあって毎日は続けられていなかった。だけど、この禍でかける機会がすっかり減ったものだからいつの間にか200日。

それだけ、でかけてないし、全く変わらない日常を送っているんだという自分への衝撃と寂しさも若干あるけど、継続できたことはうれしい。継続が苦手な私だから、こうやって数字で見えると「頑張ったなぁ」と自分を認められる。


でも、上には上がいて、もっと連続投稿している人をちらほら見かけて、「私もまだまだだなぁ。200日でいえーい!なんてしてられないなぁ」と思ったりもするんだけど、いやいや200日もすごい、と自画自賛。逆に続けていない人を見て「私、頑張ってる」と思うのも違うよね。

この考え方、今回の200日連続だけじゃなくて、よく思う。「頑張ってるね」と言われると、もっと頑張っている人が思い浮かんで「いやいや、私なんて」と思っちゃうし、言っちゃう。「頑張ってないよね」と言われると、反射的に「いやいや、頑張ってるわ」ってなる。もしかして、ただのあまのじゃく?

とはいえ、自分の中でもたぶん上とか下とか見て、“私の位置”を確認してる。だから、自分に対する評価もブレブレになってしまうんだろう。


上も、下も、見る必要はなくて、自分だけ見て自分で認めればいいんだよね。相対評価じゃなくて、絶対評価。私は私、そんで私すごいぞって。

とはいえ、自分と人を比べてしまうのも自然な感情で。でも結局、人と比べて「自分なんてダメだ」と思うのも心が弱るし、人と比べて「自分ってすごい」と思うのもダサいし、心がもにょもにょする。

上を見過ぎているとさ、首の後ろがものすごく疲れるの。逆に下を見過ぎていてもね、首の後ろはやっぱり疲れる。おっとっと、前を見なくちゃねと。それで首が疲れたら、ぐるぐる回してストレッチするんだよってのが大事で。

自分を見ていないときも、自分を見ているときも、やっぱり疲れちゃう。だからこそ、ストレッチとして、つまりは自分の体や心を大切にする行動や時間は大切だと思うわけで。


要するに何が言いたいのか、私200日頑張った!いえーい!これからも頑張るぞ!いえーい!

ってことだ。あれ、2行で終わってた。

2020年10月24日(土)

No.672

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