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自分のトリセツは意外とわからない

焦っているはずなのに、ぼうっとしている、フリーライターのaoikaraです。

やらなきゃいけないことが山積みで、早く取りかからなければと思っていて、noteはそのひとつだけど、なかなか書き出せずぼうっとしていた。さて何を書こうか…と思ってから関係のないことをいくつかしてしまった。

…と書けばいいのか、と思ってようやく書き出している。


焦っているはずなのに、どうして前に進まないのか。道のりがものすごく遠くて、気も遠くなりそうで、見ないようにしてしまうからなのか。それが“ぼうっと”の正体かもしれない。

自分でもよくわからない自分に出会って、プラスにもマイナスにも働く。自分をどうしたらいい?

家電の使い方がよくわからないときは、取扱説明書を読めばいい。でも自分にはトリセツは。存在しない。生きながら、体感として自分のことを理解していくしかない。でも、経験値もたしかに働く。

最悪だと思うことも経験値で知っていれば、何も知らない、わからないこわさはない。苦しみもがいていても抜け出せると知っているから、時間が過ぎるのを待てるようにもなる。

逆に最高だと思うことも経験値で知っていれば、新鮮さはないけどマンネリの愛しさも心地よいと知っている。自分へのご褒美は自分でよくわかっている。

それでも「どうしたものかな」と自分でも自分のトリセツがよくわからないときはあって。なかには何度となく繰り返して、本当はしっかりと向き合わなければいけない問題もある。考えなきゃいけない、でも考えないのが私の術で、繰り返している。

とある悩みの打開策は絶対に正しくない方法なのに、正しくない方法を選択してしまう。それ以外の方法を経験値として知らないから。考えて、いくつか別の方法を出して、実践してみればいい。でも、考える時間も、新しく挑む勇気もなかったりして、正しくない方法ばかり選んでいる。


あ、でもそのために“書く”ことができるのか。強制的に考えて、立ち止まって、自分を省みる時間。

そっか、なるほどね。考えたいけど考える時間がないことは、このnoteに書けばいいのか。

また新たに一つ、私のトリセツが見つかりました。

2021年6月17日(木)

No.906

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