【短編小説】不法侵入

私の勤めている会社の3階には、あまり使われていない空き会議室があり、週に何度か相談役の人が来ているという。
従業員のメンタルケアをするための福利厚生のひとつとして、最近導入されたらしい。

「おい、3階のあれ知ってるか?」

「あー、相談室ができたらしいな」

「お前、試しに行ってこいよ」

「いやぁ、別に相談することは無いのだが」

「なんでもいいだろ。自分のことでなくても、親のこととか」

「んー」

そう言われ考えてみたが、やはり、私にはこれといって相談したいことはなかった。

「もう1度、よーく考えてみろ」

「んーー、、あぁ、そういえば」

それは、1ヶ月ほど前。
30歳の誕生日を迎えてから起こり出した、妙な現象だった。夜中になると、何者かが部屋に入ってきているような感じがするのだ。

得体の知れない、多分、大きなもので、部屋に入ってきた途端、体に乗っかってくるような重たさと息苦しさを感じることがある。
そしてそれは、時に、頭の中にまで入ってきて、ぐるぐると脳内を巡っていく。
いつだって漠然とし、突然現れ、具体性をもたない。
形もなく、足音もしない。
次第には眠れなくなり、次の日の体は非常にだるい。

そいつが現れるのは、基本的に就寝前と、部屋で携帯を触っている時である。
朝や仕事中に顔を出すことはない。
しかし、それを直接見たことはないので、私は確信を持てずにいた。

正体は未だ判明していないが、頻繁に起こる訳ではないので、特段気にせずに過ごしていた。
しかし、はっきりとしないのは、私としても気持ちが悪い。
ものは試しだと、興味半分で空き会議室へと足を運んだ。


扉を開けると、広い会議室の中に机が2つ置かれ、スーツを着た相談役と思われる男性が座っていた。

「こんにちは」

男は立ち上がり、頭を下げた。

「初めまして、よろしくお願いします」

「お座りください。
えー、それでは、あなたの相談内容をお聞かせください」

相談役というものは、もっとこう、温かみがあるものだと思っていたが、その男は非常に淡々としていた。
しかしその淡々さは、男を信頼する材料になった。
こういった人の方が、散らかったものをきちんと整理整頓してくれるのかもしれない。

「最近、何者かが、部屋に入ってきているような気がするんです」

「不法侵入というやつですか」

「はい」

「それは、いつ頃始まりましたか」

「1ヶ月ほど前からです」

私は、最近起こる不法侵入について説明した。
相談役の男は、メモをとりながら、たまにうんうんと相槌を打った。

「貴方の年齢は」

「1ヶ月前に30歳になりました」

男は顎に手を置いたかと思うと、またペンを持ち、何かを書きだした。

「分かりました。それが何なのか」

「本当ですか?!こいつの正体はなんなんでしょうか」

「私から言える撃退法は、まず、早く寝て、早く起きて、ご飯を3食食べてください。あと、携帯を触る時間を少し減らすといいかもしれません」

「え?そんな簡単なことで、どうにかなるんですか」

「はい。それでもダメなようだったら、また来てください」

「そんなことで、本当にどうにかなるんでしょうか。あいつは、戸締りをしていても入ってくるんですよ」

「大丈夫です。気づいた頃には、そんなことがあったことすら忘れていますよ。まずは1ヶ月、その生活を守って、続けてみてください」

相談時間は10分にも満たなかった。
私は約束通り、朝昼夜しっかり食事を摂り、夜は22時に眠りにつき、朝は6時に目覚めた。
その夜、重たい何者かは、部屋に入ってこなかった。

起きて窓を開けると、昨日の夜中、雨が降ったせいか、朝のひんやり冷たい空気が体を巡っていった。
まるで、体中を換気するようだった。
きらきらと光る窓の外へ出て、私はそのまま30分散歩をした。

就寝前の画面を見つめていた時間で、風呂に入ることにした。
湯船に浸かるのはいつぶりだろうか。
何かが溶け出していくように力が抜け、布団に入ると、気づけば朝になっていた。

私は、この生活を1ヶ月続けた。

「なんだか最近、顔がスッキリしているな。いいことでもあったのか」

「いや、特に何もないが」

「そういや、相談室に行ったんだってな。どうだった」

「早く寝て、ちゃんとご飯を食べろとアドバイスをもらったよ」

「一体、お前の相談事ってなんだったんだ?」

「なんだったかな?もう忘れた」



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