【短編小説】イッツオーケー

自分のことなら、何度だって抱きしめてきた。

色のついた世界から、白黒の世界へ繋がる扉を閉めれば、簡単に涙が溢れた。
突然の雨のように泣き出す私を、手で優しくさすった。

24時間は、意外とたいしたことない事で削られていく。
朝が動き出し、今日の占いが流れている。
ぼんやりと朝礼を聞いた後、私は外回りに出る。
何も決まらない会議では、次に会議する日程を決める。
使い古したボロ雑巾のまま行われる長い終礼。
週に1度、全社員へ送られる役員からの動画。
会長からのお言葉は、ありがたい気がしたいし、そうじゃない気もした。
何かをした訳ではないのに、気づいたら眠る時間になり、また朝が来る。

私は、多分、生きているというより、死んでいないだけ。
こんな風に思っているのは、なぜなのだろう。


"ブーブー"

鉛のような体をソファに沈めていた時、それは、母からの着信だった。

「もしも〜し」

「あら、もしもし〜、久しぶりに電話出たわね。風邪ひいてない?元気にしてる?」

「うん、ちょっと仕事忙しくて。元気だよ〜。お母さんは?」

「私も元気よ〜。あ、そうそう。あんた木村 加奈恵ちゃん覚えてる?」

「あぁ〜、中学ん時の?その子がどうしたの?」

「こないだ家に来てくれて、たまたま近く来たからって、タイムカプセルの手紙届けてくれたのよ〜。あんた、同窓会行かなかったでしょ」

「あぁ〜、仕事だったし。久しぶりに実家帰りたいから今週末取りに行くよ」

その子の名前を聞くのは久しぶりだった。

あれは、中学2年の時。
今思えば、上履きが無くなったくらい大したことではなかったけれど、当時の私にとって、それは大事件だった。
しかし、大事件だったのは、上靴を隠されたからではなかった。
私には、中学で初めてできた友人がいた。
入学式の後、新しいクラスに集められた私たち。名簿順の私の後ろが彼女だった。
私の背中をチョンチョンと指でつついて、「筆箱忘れちゃった!シャーペン貸して!」と屈託のない笑顔で笑う彼女は、まるで昔から仲が良かったかのように、私の壁を軽く飛び越えてきた。
友人になるのに、時間はかからなかった。何でも話せる、大切な存在だった。

上履きがなくなった次の日、学校へ行くと彼女は、別の女子グループの輪に入って、楽しそうに話していた。
私のことは、まるで見えていないようだった。
そして、卒業までずっと私に話しかけてくることはなかった。
私はそれ以降、人と関わるのが怖くなってしまった。
学校を休みがちになり、中学で培われなかった社交性が、高校に入って突然開花するはずもなかった。



実家は、電車を2本乗り継ぎ、1時間ほど行った、田舎町にある。
週末だというのに、子供達の声も聞こえず、シンと静かである。昔は好きになれなかったけれど、今では、風に包まれて緑の匂いが漂うこの町も、少し悪くないかと思える。

「ただいま〜」

「あ〜、おかえり、遅かったわね。今お茶入れるから、ちょっと座ってて」

私は荷物を下ろし、食卓に1通の封筒が置いてあるのを見つけた。

「お母さん、電話で言ってたのこの手紙のこと〜?」

「そうそう〜。わざわざ届けてくれて優しいわね。そういや、あの子と仲良かったの?」

「なんで?」

「あんたに伝言があるとか言って、"あの時、助けてあげられなくてごめん"だったかな?そう伝えてほしいってお願いされたの」

「ふ〜ん」

「昔あの子となんかあったの?」

「別に〜〜」

「あんた連絡してこないけど、会社の方はどう?やっていけそう?」

「うん、大丈夫。もう仕事もだいぶ覚えたし」

「そうじゃなくて、ほら、人間関係とか。お父さん、何も言わないけど心配してるのよ」

「大丈夫よ。もういい歳なんだし。私1人の方が楽だし。その子のこと、教えてくれてありがとう。ちょっと散歩行ってくる」


街灯がまばらに並ぶこの公園で、よく夜の散歩をした。
ブランコに腰掛け、私はピンク色の封筒に入っていた四つ折りの手紙を開いた。


"10年後の私へ
元気にしてますか。
今の私は、何も上手にできません。
私は何か間違ってるのかなと思ったりもします。
この先、悲しいことがあっても、乗り越えられたらいいなと思います。
だから、この言葉を送ります。
あなたなら、きっと大丈夫。"

 

今と変わらない、丸い字で書かれた手紙。
好きだったキャラクターのシールが貼ってあった。
鉛筆で下書きして、上からボールペンでなぞったようで、消した後も残っていて、私らしい。
そして、その手紙の文字はところどころ震えているようで、紙には丸いシワができていた。
大丈夫の文字をいくつも書いては、消していた。

そこには、この手紙を書きながら、泣いている小さな私がいた。

読みながら、文字が少しずつぼやけていって、目が滲んでいるのに気づいた。

ずっと、こうやって、まじないをかけながら過ごしていたんだな。
長く鍵をかけ続けたせいで、開け方が分からなくなっていた心が、やっと自分の元に届いたような、そんな気がした。


「あの時は、分からなかったなぁ」

今も不器用なままの私だけれど、10年前の私に言ってあげたい。


まだ1人で泣く夜もあるけれど、なんとか元気でやってるよ。
失敗もあったかもしれないけれど、でも、あなたの言う通り、本当に大丈夫だったよ。
何も間違っていなかったし、こうしてちゃんと、少しずつ乗り越えているよ。

そして、これからも全て大丈夫だから、もう大丈夫の着ぐるみは着なくてもいいんだよと。   





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