【短編小説】チートカードを手に入れた

ラメを含んだ翠色のふちは、光にあてると控えめな輝きを放った。ふちの内側はラメは施されておらず薄い黄色のベタ塗りで、これがその伝説のカードかと疑うほどシンプルなつくりだった。
題名の通り、大学2年の冬、私はチートカードを手に入れた。

チートカードとは?と思われた方も多いだろう。私の住む星では、パンやお菓子にオマケで入っているキャラクターシールの代わりに、"能力カード"というものが入っている。
大概が、字がほんの少し綺麗になるとか、ほんの少し姿勢が少し良くなるなど、あってもなくてもいいような能力なのだが、今私が手にしているのは、この星で5枚しか発行されていないという伝説のカードである。

いつものコンビニで、いつもの菓子パンを買い袋を開けたその時だった。

「これは‥‥」

それは、昔Dが教えてくれたカードによく似ていた。欲しいものが手に入るようになるという伝説のカードだ。
たしかひとつだけ条件があった。願ったものは手に入るのだが、その代わり、自分の人生でいちばん大切なものは自分から離れ、遠くに行ってしまうとかだったと思う。

人間なんてのは自分にとって何が大切かなんて一生分からないし、それに気づいたとしても過ちを繰り返す愚かな生き物である。まぁそれでも、それ以外のものは全て手に入るというわけで、いわばこれは人生無双カードなのである。巷ではこれを"チートカード"と呼ぶ人もいるらしい。

しかし、何事も真偽を確かめるというのは大切なことである。私はチートカードをぎゅっと握り、売り切れになり手に入らなかった限定フィギュアのことを思い浮かべた。大好きな戦闘シーンの動きを緻密に再現したフィギュアだったのだが、サイトの接続に手こずっているうちに完売となってしまったのだ。私はもう一度、強く願った。

それから1ヶ月後、洋服を売ろうと出品サービスのサイトを開くと、なんと私の求めていたフィギュアが出品されていた。
その造形美に再度感動すると共に、私が手にしたのは紛れもなくチートカードであると確信したのだった。

せっかくの静かな夜に、興奮して寝付けない私は、願い事リストを作ることにした。

①優れた容姿
②美しい恋人
③明晰な頭脳
④金
⑤名誉
⑥地位

思い浮かんだのは、ありきたりで分かりやすい幸福ばかりだった。
そしてこれを書くということは、現状私がこれらを手にしていない事実を公表することになるのでお恥ずかしいのだが、そんなことはかまってられない。
私の頭の中は、これから来るであろう薔薇色どころではない人生のプロローグがすでに流れはじめており、そういった冷笑など、蚊を指先で跳ねのけるように簡単に吹き飛ばしてしまうのであった。誰か、私の口元のニヤニヤを止めてくれる人はいないだろうか。


チートカードを手に入れてから、数日後のことだった。Dから連絡が来た。見たかった映画が公開になったので一緒に行こうという誘いの連絡だった。私は"分かった"とだけ書いて返信した。

私とDの出会いは、高校時代に遡る。高校生の頃の私は周りを見下し、人を寄せつけず、分かりやすく孤立していた。先生達から好かれるような奴らのことを"学校の犬"、女子に人気のある足が速い奴らのことを"盛んな猿"と、心の中で呼んでいた。単純に僻んでいたのだと思う。何度かこんな自分を変えようとしてみた。しかし、やはり何かを変える人望も行動力も自分には標準装備されていないのだと思い知り、改心もせず粗探しに勤しんでいた。思春期という言葉では片付けられない、私の黒歴史である。
そんな中で、唯一話しかけてきたのがDだった。

「なぁ〜、お前いつもひとりだよな?みんなから嫌われてんの?」

そう言ってニンマリと笑ってきた。無駄に大きいその声は教室中に響き渡り、私の中の時が止まった。Dはその時、キラキラと輝く生まれたてのような瞳で私を見つめそう問いかけてきたのだ。"純粋"とは便利な言葉である。この時は、Dが優しさで話しかけてきたのか、純粋が故の質問なのか理解に苦しみ、家に帰ってからも少し考えたりした。後々分かったことだが、Dは無神経で馬鹿なだけであった。私はこいつを友人と思ったことはないが、無視をしても話しかけてくる人間は初めてだったので、なんとなく一緒に過ごしていた。
いつからか、こいつの無神経さとお気楽さと馬鹿さ加減に、私は謎の心地よさを感じるようになっていた。"なんだか癖になる"といった感じだろうか。


「おいっす〜。元気か〜」
「おお、元気だ。あ、お久しぶりです」

久しぶりに会ったDは猫背気味で、財布でも落としたのか聞きたくなるような冴えない顔色をしていた。まぁいつものことである。
そして横にはDの幼馴染であるMさんがいた。降ってきた枯葉は、彼女の長く艶やかな髪を撫でるようにつるんっと滑り落ちた。"葉っぱになりたい"と私の心がつぶやいた。気持ち悪いというのは重々承知である。
お分かりかもしれないが、実は私は、この幼馴染の女性に恋をしているのだ。

今は、大学2年の冬。私は彼女に告白しようか迷っていた。チートカードがあるのだから、願えば叶うはずだが、もし、私の人生で大切な人が彼女だった場合、付き合うことはできない。
そして私には、もうひとつ懸念していることがあった。
きっと彼女は、Dのことが好きなのである。くりっとした瞳をいつも半分にして、柔らかくDを見つめるその姿と、Dのためにいつも折り畳み傘を持ち歩いていることから、なんとなくそう思った。
しかし今はまだ、それが幼馴染としてなのか異性としてなのか分かっていないというところだろうか。Dは彼女の気持ちに気づいていなそうだが、こんなに綺麗な人に告白されてノーと言う人間はいないだろう。
私は、いっそくっついてくれたら諦めがつくと、ふたりが付き合い出すのを待っていた。時間の問題だろうとその報告を待っていた。
しかし、彼女はいつまで経ってもDに告白しようとはしなかった。


話は、私のチートカードに戻る。
あまり欲張るのはよくないと思い、私は1年にふたつずつ願いを叶えていった。これくらいなら、調子に乗っていると天から罰を受けることもないだろう。最低限の努力で人並み以上の頭脳と外見を手に入れ、無事に就職先も決まった。思い描いた通りの人生を歩み、全ては順調だった。

大学4年の冬のことだった。
私は勤めているバイト先で大きなミスをしてしまい、ひどく落ち込んでいた。あんなに大声で怒鳴られたのは中学生以来で、アルミの缶が上から押されてぺちゃんこになるように、私の心は潰れてしまった。
自分でも不思議なのだが、こういった時に思い出すのは、幼馴染の彼女でも、母親でも、好きなアイドルでもなく、Dのまぬけな笑顔なのだ。そういえば、いじめられていた時も、大学に馴染めなかった時も、いつもDのことが頭に浮かんでいた。
私は悔しいけれどDの声が聞きたくなり電話をかけたが、バイト中なのか電話には出なかった。

そしてまるで私の幸福と引き換えるように、その時は突然やってきた。

「‥‥昨日ね‥‥」
「‥‥」

Dはピザの配達中にトラックと衝突し、帰らぬ人となってしまった。

葬式には彼女と共に参列した。棺桶の中のDは、気持ちよさそうな顔で、眠っているようだった。
式の後、彼女は隠れるようにひとり玄関を出た。その後を静かに追うと、Dの家の前にある田んぼを眺め、ゔゔぅっっと両手で口を押さえ泣きながら座り込んでしまった。私は思わず駆け寄った。

「おい、大丈夫か」

「‥‥あ、うん‥‥長い友人だったからつい」

彼女はびっちょり濡れた顔を手のひらで抑えながら、「大丈夫。大丈夫だから」と自分に言い聞かせるように唱えていた。


それから1年後、私は彼女に告白をし交際が始まった。さらにその3年後には私たちは結婚し、子宝にも恵まれた。現在は会社を設立し、優秀な社員にも恵まれている。

私は今も、自分の人生でいちばん大切なものが、なんだったのか分からずにいる。地位、富、美しい妻、元気でしっかり者の子供たち。私が望んだものは全て手に入っている。
ただ、今も悩んだ時に思い出すのは、なんでも吹っ飛ばしてくれそうな、Dのばかみたいにまぬけな笑顔だった。

「まさかな」
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ」
「今日も無理せずに」
「あぁ、行ってくる」

私は、彼女の頭に軽く触れるくらいのキスをした。

彼女の定期入れに薄い黄色のカードが入っていることを知ったのは、それからさらに10年後のことだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?