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ノモリクヲノミカ1


月曜日の早朝。
白く光輝く巨大な手が、眠っている人間をひとり包み込んで持ち上げる。その人間は深い眠りの中で、少しの揺れにはびくともしない。
その白い手はゆっくりと消えていく。若い大人を連れ去って。
暗い寝室には空っぽのベッドがひとつ残された。



小さい頃に、似たような夢をよく見ていたような気がする。
金色に光輝く鹿が、自分を覗き込んでいる。
「子供の国セオドアへようこそ」
は?ぼくはがばりと起き上がり、辺りを見回した。
きらきら光る黄色い煉瓦の道。その温かさが肌に伝わってくる。立ち並ぶ色とりどりのお菓子の家。よだれが出そうな良い匂いがする。柔らかな虹色のシャボン玉が飛んでいく。子供たちや後足で立つ動物たちが、談笑しながら歩いている。
「話している奴の顔を見ろと小4に説教しているのはどこのどいつだ。こっちを見ろ」
ぼくは戦々恐々と振り返った。光輝く金色の鳳凰がこちらを見ている。声はそれからではなく頭に直接響いてくる。まるで複数の人間が一斉にしゃべっているような声だ。
...というか、さっきは鹿だと思ったんだけど。
見る間にそれは形を変えて、人間の赤ん坊になった。
「げっ」
「あなたは本イベントのスペシャルゲストです!不老不死のアイテム探しの冒険をどうぞお楽しみくださーい」
いきなりテーマパーク感溢れるアナウンス。
「制限時間は3オルゴン。この時計で12の針までです。同じ時計は城の前にもございます。時間を使いきったらまた明日。サーラバイバイということで、さあさあではでは、冒険の旅へいってらっしゃい見てらっしゃい。あなたは立派に成人ですが中身は子供だと認められましたので特別にお招きいたしました」
余計なお世話だ。
「現実世界では月曜日の朝四時のまま時が止まっておりますので学校の心配は無用。幸運を祈ります。ごきげんよう」
光の玉になって消えてしまった。
ぼくは呆然とした。どうしてこんな目に遭っているのか考えようとした。
昨日はいつも通り親友の遥のために短編小説を書いて眠った。つまりこれは夢。そうに違いない。そのうち目が覚めて、またあの小4を相手に授業をしなければならない。既に悪知恵がついて大人に良い顔をするあいつらに。子供におべっかを使われるために教師になったのではないのだが。
しかし今は...ぼくは自分の体を見下ろした。それが紛れもなく子供の頃の自分のものであることを見ても、大して驚かない。何せこれは夢。ならば、今はこの状況を利用するしかない。
ぼくは急に朗らかな気持ちを取り戻した。煉瓦の道をスキップで駆け抜けると、大きな眩しい白い城が目前に現れた。シンデレラ城といった風情である。青いパラソルを差したアイスクリームの屋台でコーンをもらう。今にビビデバビデブーと言いそうな魔女がいた。パラソルには「I SCREAM!」と書いてある。陽光に目を細めながらアイスをなめていると、なるほど確かに、城の前には金色の細い足のついた、洒落た文字盤の時計があって、9の文字を指していた。

「お前、名前なに」近くで城を見上げていた狼が聞いてきた。
「悠」気の緩んだぼくはにっこりと答えた。
「ユウっていうの?私はね、ナオ。こっちはリョウ」
連れらしい宇宙服の少女が言った。
「ひょっとして不老不死のアイテム探し?幼い長の意図を考察しに来たとか。私たちも一緒」
ナオは仲間たちを指した。どうやらこの六名は一緒に行動している仲間らしい。
「僕はコウタ。九歳と三ヶ月と二十三日」
リョウの肩にのったカメレオンが自己紹介した。
「サキ。六歳」足元で黒猫が鳴いた。
「モモ。四つ」兎がピョンと跳ねる。
鶴が一羽、静かにこちらを見ていた。黒々とした目はつぶらで、優しそうだ。どこか懐かしい気がした。ずっと前、よく見ていたような。
「この子はダレカ」ナオが紹介する。
「ダレカ?」
「誰かわかんないから。喋らないんだもん」
カメレオン コウタが言った。
「この人、私がここセオドアに来た時にはもう居たよ」宇宙服のナオが言った。
「へー!一体いくつ?」黒猫のサキが興味津々で聞いた。
鶴は優しく瞬きするばかりだった。
「どういうこと?ここに長いこといるって、いけないの?」ぼくはきいた。
「いけないって言うか、みんな自然に、ここに興味をなくしていくの。早い子は中学に上がったくらいでね。大人になっちゃうの」
ナオは憤りたっぷりに言った。
「だけど俺たちは違う」狼のリョウが吠えた。
「きっと不老不死を手にいれて、永久にここ子供の国にいるんだ」
「ライバルはたくさんいるけどね」カメレオンのコウタがリョウの肩から冷水を浴びせる。
「なんだよ、お前も協力するって言っただろ」
「もっちろん。私たち、そのために集まってるんだから」黒猫のサキがなだめた。
「ユウ、どうだい。不老不死が欲しくないっていう奴も大勢いるが、俺たちは本気だから。ついてくるか?」
狼のリョウが詰め寄った。
 永久に子供のまま。それこそぼくがずっと望んでいたことだ。

 ぼくは冷蔵庫
 洗濯機や電子レンジと同じ
 生活の歯車のひとつとして
 ぐるぐるぐるぐる 同じところを回る
 ぼくは
 冷蔵庫 洗濯機や電子レンジと同じ
 社会の歯車のひとつとして
 くる日もくる日も 同じところを回る

父親の記憶がよみがえる。だんだん乾燥していく周囲の友人たちの顔に抱いた嫌悪感がよみがえる。ぼくは、大人になんかなりたくない。
本当は読んでもらえない小説を書き続けているのも、子供の気持ちを忘れないためだ。でも、そんなケチ臭いことも不老不死の子供になれるなら、しなくていいのかもしれない。
「うん、付いていく」
もちろん、本当にそんなものがあるのなら、嬉しいのだが。
これは夢。
六人の顔がほころんだ。
「ところでさ、君たち人間?」ぼくは尋ねた。皆一斉に今さらという顔をした。
「ここではみんな、自分のなりたいものになれるんだ」
「したいことができる」
「何でもよ」
「それが子供の国!」皆元気よく叫び、笑い転げる。
「君、変身したことないの?カメレオン快適だよ」コウタが言った。
「俺の背中に隠れられるしな」狼のリョウが皮肉った。
「探すことになってるアイテムって、まるきりわからないの?」
「ヒントがあるんだ」黒猫のサキが言った。
「火の輪をくぐり 暖ある場
 剣を交えて 帰る場所
 思い出の中の 親友に
 告げよ我らの 国の名を
 ありったけの 親しみ込めて」
ナオがそらんじた。
「...意味わからん」
「でしょー!私たちも行き詰まり」
「だからさ言ってるじゃん、剣を交えなきゃ行けない場所なんだよ」リョウが言った。
「じゃあ、やっぱり次行くのはあそこ?」
「その前に」リョウは悪戯っぽく笑った。
「ちょっと武器補充」

新しい友達に連れられて、ぼくは巨大な倉庫のような建物の前に来ていた。もう彼らのことはずっと前から知っていた友人のように思えた。子供は教師に対しては、ここまで打ち解けてはくれない。ぼくはそれが寂しかったのだった。
「何ここ」
「みんな、ママに捨てられた玩具取り返したいでしょ?そのための倉庫」
なるほどゲーム機やドールハウス、ぬいぐるみ、おもちゃの車などが、色とりどりの箱に山と積まれている。ベルトコンベアやクレーンがそれらを持ち主に返却している。
「あれ乗りたい!」
兎のモモが主張し、ナオが彼女をコンベアに載せてやったので、白兎がうひうひ笑いながら倉庫の中を一周するという世にも珍しい絵を目の当たりにすることになった。
「えーっと、これこれ」狼のリョウがプラスチックの、かなり年期の入ったライトセーバーを持ってきた。薄茶けた緑色で、ひびが入っている。1振りしたら折れそうだ。
「はい、これお前の」
「え、ボク?」ぼくは面食らった。
「これから行くとこ、そういうのないと困るよ。大丈夫だって、折れないから」宇宙服のナオが励ます。
めっちゃ不安。
「さあ、今度こそ出発!」
「怪物州へ!」 

「不老不死のアイテムだって。幼い長はなにを考えていらっしゃるのやら」
アイスクリームを作りながら、魔女は呟いた。目の前の白い城を見上げる。
「ろくでもない。それでなくても大変なのに」 


「いやー、天馬車は気持ちいいねー」風に目を細めながら、ナオが言う。
ぼくたちは天馬の引く馬車に乗っていた。立派な栗毛の馬に、同じ色の巨大な翼を付けたような感じだ。二頭で赤い天鵞絨張りの、天蓋つき馬車を引いている。わたあめのような雲を蹴って、美しい体躯を躍動させる。
はるか眼下には、おもちゃの町のような子供の国の国土が広がっている。飛行機に乗る興奮と、おとぎ話のようなロマンスを感じる。
「君、馬も扱えるの?尊敬する」ぼくは手綱を取るリョウに声をかけた。乗馬体験で馬に蹴られたことを思い出していた。
「お前、見る目あるな」狼のリョウが得意気に言った。
「そうやって人を誉めるふりして。ほんと自分好き」カメレオンのコウタが呆れる。
「サキちゃん大丈夫?」ナオが心配そうに言う。
サキは真っ青になって(猫が青くなれるなら)懸命に外を見ないようにしている。
「サキって高いところ苦手だったっけ」ナオが彼女の背をなでてやる。
「意外。猫なのに」
「み、見た目が猫なだけ!」サキは苦し気に訴える。
「それに、高いところが苦手な猫もいるもん!」
「見た目といえば」ぼくはナオに言った。
「君は将来宇宙飛行士になりたいの?」
予想に反して、ナオは黙り込んでしまった。残りのメンバーはそれとなく息を詰め、聞き耳を立てている。妙な沈黙が流れ、ぼくは焦り始めた。
「あのさ、俺たちそういう話はあんまり...」リョウが助け船を出そうとした。
「私に将来なんてない。宇宙飛行士にもなれない」ナオが小さな声で、しかしきっぱりと言った。そのままヘルメットをかぶり、ブラインドを下ろしてしまう。
「...ごめん」沈黙に耐えられずに謝った。
「言いたくないことも、あるよね」
頑ななヘルメットの向こうには、荒んだ言葉に傷ついた、繊細な心があるのかもしれない。
そう思っていると、
「大人みたいだよな、お前って」リョウがぼそりと呟く。
「なんか、不自然だよ」
オトナミタイ...
「ほんと、ごめん」
ぼくは、大人になんかなりたくなかった。
「...だって、不老不死を手にいれて、ずっとここにいるんだもんね」ナオの朗らかを装った声が言う。
「いいよ、ユウ、気にしないでよ」
なんという人だ、この子は。ぼくはいたたまれない気持ちでいっぱいになった。情けなさと感謝がないまぜになって、困ったスヌーピーみたいな顔をしていたと思う。

突然、馬車が気持ちの悪い揺れかたをした。
「うわあ、なんだよリョウ」コウタが尋ねた。
「知らねえよ、俺に聞くな」リョウは焦っている。
また揺れた。そのままぐらぐらと風になびき、ゆっくりと高度を下げ始めた。
胃が震えた。
突然サキが悲鳴をあげた。指差す先を見ると、ぼくの口からも声が漏れた。天馬が骸骨になっている。
急に暗雲が空を覆い、雷が鳴り始めた。馬車の骨組みが剥き出しだ。そして、馬車は本格的に落下し始めた。
「しっかり掴まれ!」誰ともなく叫ぶ。
人生の終わりを覚悟した瞬間、馬車は体勢を立て直した。
「はああああ!」詰めていた息が漏れた。空は元通り青い。雲を蹴って豊かな栗毛の天馬が力強く羽ばたく。まるで何事もなかったかのようだ。こうなってしまうと、むしろ拍子抜けする。
「何だったの今の...」ナオが黒猫のサキと白兎のモモとしっかり抱き合っている。
「システム障害って感じだったね」平気を装って、コウタがいう。
「ここにそういうのがあればの話」
「無事だったから、いいじゃん」リョウはけろっとしている。
「ところでさ、そろそろ着くよ」

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