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設定はツッコミ所満載だが、それをさせない凄みがある | 映画「みなに幸あれ」感想

 ⚠ 核心的なネタバレには触れませんが、映画の内容には触れています

 都市ボーイズのYouTubeで紹介されていたので、興味をそそられて見に行ってみた。岸本さんの紹介する映画は当たりが多い印象。

 僕は存在すら知らなかったのだけど、第一回日本ホラー映画大賞の大賞らしい。KADOKAWAの主催。こういう賞レースの受賞作って真面目にすごいものを作ったタイプと、センスでぶっちぎるタイプがあるような気がする。で、この作品は間違いなく後者。キービジュアルにも書いてある「地球上の幸せには、限りがある」という、一つのネタから膨らませてぶっ飛ばした映画だと思う。

あらすじ

看護学生の孫は、ひょんなことから田舎に住む祖父母に会いに行く。久しぶりの再会、家族水入らずで幸せな時間を過ごす。しかし、どこか違和感を覚える孫。祖父母の家には「何か」がいる。そしてある時から、人間の存在自体を揺るがすような根源的な恐怖が迫って来る…。

公式HPより

 というシンプルなあらすじだけど、実際、田舎に帰った主人公が予想もしない恐怖に遭遇するという話なので、これ以上、書くこともできないのだと思う。

感想

 なんかね、この映画を全体通した感想を書くのは難しいかもしれない。面白かったとか、興味深かったとか、尖った映画だったとか、書くことはできるんだけど、それが大きく外れているわけではないんだけど、僕の正直な感想とは言えないかもしれない。

 この映画は前半と後半で映画が一変する。前半は正体不明の怪異に怯える田舎ホラー。後半はネタばらしから一気に狂気の世界に引きずり込まれるサイコホラー。2つの毛色が違いすぎて、どう評価すればいいんだろうと、自分の中でいまいち定まらない。後半のぶっ飛び感とか、意味不明感も拍車をかけている。指しゃぶりとか出産とかもうわけわかんないよね。困ってしまうね。

前半 ひたすたら不気味な田舎ホラー

 前半、看護学校に通っている主人公が祖父母が暮らす田舎に一人で帰省する。幼い頃から、祖父母の家の二階にはなにか秘密があると、恐ろしい秘密があると知っていた。主人公が久しぶりに帰ってきた田舎でその秘密に迫っていくという話。田舎の因習、奇習に遭遇する都会人、というありがちな展開ではある。しかし、この映画は平凡な田舎ホラーにはない要素があると思う。

 それがなにかっていうと、主人公の祖父母。この二人がとにかく気持ち悪いんだよね。ひたすら不穏。気味が悪い。都市ボーイズのYouTubeで言ってたけど、この祖父母役の二人、役者じゃないらしい。普通の田舎のおじいちゃんおばあちゃん感を出すために素人?を使っているらしい。それがピタリとハマっている。当然、プロの役者じゃないので棒読み感が出ていて、この映画じゃなかったら下手くそと言われかねない演技になっている。だけど、それが田舎に住んでいる得体の知れない祖父母と合わさると、その先に底しれない闇を見出してしまう。こんな人間はリアルじゃないんだけど、だからこそ、この老人は悪い秘密を隠している化け物に見える。そこがとても良くて、普通の田舎ホラーよりもパンチが効いてたと思う。

後半 ネタばらしから狂気の世界へ

 中盤、祖父母が隠していたものが明らかになる。それは、この映画の最初から示されていたことなので意外性はなかった。公式サイトにも堂々と書いてあるし、キービジュアルにも書いてあるし、何度も幸せについて問いかけられる点からして、こういうネタだというのは必然だったということだね。

 で、ネタばらしが終わってしまうと、肝心の得体の知れない対象への恐怖が消えてしまう。この時点でよくある心霊的な田舎ホラー展開は終わったわけだ。ここからは田舎で行われている奇習と、それに馴染んでいる、染まっている人々との価値観の強烈な差によって生まれる恐怖を描いている。要するに田舎のヤベぇ集団が恐いってやつだね。もちろん、これも田舎ホラーではあるんだけど、ホラーの毛色が変わる。心霊ホラーからサイコホラーに変わっていく感じかな。

 このサイコホラーの恐怖っていうのは、現代日本の常識が通じないという部分が大きいのだと思う。極端な例を出すと、ジャングルの奥地に人食い部族に出くわしたみたいな感じ。(ちなみに、グリーンインフェルノは痛そうなのが苦手すぎて途中で見るのやめました)

主役の凄みによって説得されてしまう

 本作の田舎の奇習は、現代日本においてこんなのあり得ない、と見た人が全員実感することだと思う。警察が見つけられない理由も、放置する理由もない。明確な人権侵害なのだから、問題だと思う人が一人でもいたら、あっという間にSNSに拡散されて全国に知れ渡ることになる。そして逮捕者が何十人も出るような大事件に展開するだろう。なぜそうならないのか、と冷静にツッコミを入れれば冷めた目でしか見れなくなってしまう。

 冷静にならないように説得してくれるのが、映画の観客と同じ視点を持つ主人公。古川琴音さんが演じているわけだけど、この人の演技がすごい合っているなと思った。上手いと思った。逆に主人公役が下手くそだったら、この映画は後半の展開で置いていかれてしまって、多分興醒めな作品になっていたんじゃないかな。

 僕は演技について詳しくないので、何が良かったかというのを語るのは難しい。後半この映画はどんどん狂っていくのだけど、主人公は狂気ついていけず翻弄され続ける。観客は主人公の立ち位置から映画を見ているので、自分のリアクションの代わりに主人公がリアクションしてくれていることになる。つまり、設定のアラに対して冷静にツッコミを入れる前に、主人公が説得力のあるリアクションをしてくれるおかげで、ツッコミを入れることが頭から抜けてしまうんじゃないか。そんな感じに思うんだね。だから、演技が下手な人だったら成立しないんだと感じる。

 後半、ある一線を超えてしまい、主人公も狂気に飲まれてしまう。観客と同じ目線に立っていた主人公もあっちへ行ってしまうんだよね。観客は置いていかれてしまうんだけど、そこから先の主人公はなにか、表現しようのない凄みがあるんだよね。翻弄され続けた先に吹っ切れた感じだと思うけど、そこの辺りの変貌ぶりの演技が良かったよね。

結局、幸せは誰かの犠牲によって成り立っているのか

 この映画のテーマであるところの、「幸せは有限だから、誰かの幸せは誰かの不幸によって成り立つ」っていうのはどうなのよ、って話。

 年金制度とかそういう面もあるよね。とか思いつつも、個人の幸せがどこにあるかなんてわかんないわけで、年金もらえる老人が不幸で、金を吸い上げられる若者が幸福だってこともある。

 そもそも、この世はあらゆる事象が複雑に絡み合って関係し合っているんだから、そんな単純に誰かの幸せを奪っているなんて考えるのはちょっと違う気がするね。

 僕が使っている製品が外国の人の搾取によって成り立っていたとしても、果たしてそれが僕の幸せに繋がっているのかと言われると疑問だ。

 よくわかんねーってことで。おわり。








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