不登校開始から1か月間の様子

不登校になってすぐに家族会議をし、夫からの提案でまず1週間休むことにしました。そして、ひたすら大好きな読書をして過ごしました。外に出ることはほとんどありませんでした。この1週間の娘は、言葉数も少なく、ただごろんとして本を読みふける毎日でした。勉強もしない、ピアノもしない、一応食事はとるけど摂取量は少なかったと思います。けれど、好きなようにさせました。外出したくなさそうならそのままにして、一応カーテンは開けて陽の光をいれたり、風を通したりすることはありましたが、ぶっちゃけると陰気くさい生活でした。ぐーたら大好きな夫とは馬が合ったようで、穏やかに過ごすことができました。1週間で何かがかわるのか?そんな思いがずっとありました。この1週間の間に、私は教育センターの臨床心理士さんと連絡をとり、まずは電話相談で対応してもらっていました。こうなる前まで、心理士さんは私への介入がメインでしたが、ここからは娘にがっつりと介入してもらうことになりました。

1週間なんてあっという間でした。そして1週間後の土曜日、その日はちょうど半日授業ということと、夫も休みということで、3人で学校に向かうことにしました。私は、前日の夜の娘のこわばった顔が忘れられませんでしたが、娘の着替えを手伝ったりしながら、「”学校は必ず行かなければならな場所”ではないんだよ。あなたの中で、まだその気持ちが残っているから苦しくなると思う。こども六法に学校に行くことが義務と書いてあった?親は子供に学ばせる義務はあるけれど、子供が学校に行かなければならないという義務はないんだよ。学ぶ場所は指定されてないんだよ。」と話しました。

そして案の定、家の最寄り駅まではたどりつきましたが、電車には乗れませんでした。夫も娘のこのような様子を何度か見ているので、今は学校に行かせるべきではないと判断が一致しました。夫婦で話し合った結果、1か月まるまる休もうという結論に達しました。学校にも1か月休むことを連絡し、その間は私から毎日学校に「今日は休みます」という連絡も不要にしてもらいました。行くときだけ連絡しますと。地味にこの学校への欠席連絡はとてもしんどいことで、子供も親のそんな姿を見るのは苦しいだろうと思います。

その1か月のお休みの間、問題は夫と私の仕事です。私も夜勤ありのフルタイムで、おまけに役職ありです。さらに、心療内科もスタートしており、悲惨な状況です。さいわいなことに、夫の上司のお子さんが不登校を経験していたこともあり、仕事はお互い調整をつけながら、どちらかが家にいるようにしました。そして、私は休職する準備を始めました。職場はとても協力的で、すぐに人員の補充をしてくださり、私はこころおきなく休めるようになりました。娘はというと、抜け殻のような感じで、表情も乏しくなっていました。最初の1週間は家にこもり、その後は夫と図書館に行くようになりました。すごい量の本を借りてきていました。3人分の貸し出しカードを使っていたので、そして、1か月くらい休むと、ホームセンターに図工グッズを買いに行ったりできるようになりました。それでもまだ、勉強はさせませんでしたし、本人も興味がなさそうでした。本人もこの頃の記憶はほぼ無いようです。

休職に入るのでお金の心配はありましたが、そんなこと言ってられません。なぜ母子分離不安が出てきたのか、娘の心の底にあるものはなんなのか、それを引き出す作業をしていかなければと思いました。私のグーグルの検索フォームには、ひたすら「不登校」という字が並びました。すごいですね、「不登校を治す」とうたっているサイトが多いこと。とても違和感を抱きました。そして、不登校に親が過剰に不安になってしまい(不安をあおられますし)、藁をもすがる思いでそういうサイトに飛びついてしまうんだろうと思いました。親自身、「学校に行かないといけない」という気持ちが強いことのあらわれだと思います。学校に行くというレールにのらないと、社会不適合者のレッテルがはられてしまうように感じるのでしょう。そしてまた学校も、集団生活に適応できない子供ははみ出し者として扱ってきます。(すべての学校がそうじゃないと思いますが、娘の学校ではそう感じました。)

そして、一見理解がありそうに思えますが、不登校最初のハードルは、そんな「学校には無理していかなくていい」派の私と、「学校には勉強以外にも学ぶことはあるから行くべきだ」派の夫との対立でした。家族内の意見の相違で一番被害を被るのは子供です。対立する両親を見て、娘はそれぞれに合わせた対応をするようになります。学校だけではなく、家の中でもまわりの人たちの気持ちを汲み取って、誰も傷つけないようにという行動をします。


私の休職に関しては、その後、私のメンタルがひたすら落ちていったので、心療内科から仕事のストップがかかり、傷病手当で生き延びることになりました。その前に、有給と積立休暇がめちゃくちゃ残っていたので、数カ月はそれで対応してもらい、その後に休職+傷病手当をもらい、そして傷病手当がもらえなくなるタイミングで退職となります。2021年3月に退職しました。17年間、その職場にいました。


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