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Case -2- 早く楽にしてほしい

総文字数4300


 その人はまだ40代のバリバリ若い方で、モデルのような綺麗な奥様と可愛い2人の子供が自慢だった。
 職業柄とんでもないヘビースモーカーで、我々の目を盗んでは勝手に外やコンビニまで出向き、タバコを買って外で煙を撒き散らかして戻ってくる。

 我が家はヘビースモーカーしか住んでいないが、自分は喫煙者ではないので、喫煙者の気持ちをこれからも絶対に理解する事は出来ない。なのに、仕事なので「タバコをやめろ」と口うるさく話す。そりゃあ相手から見ると、「お前は煙草を吸わないのだから、俺達の気持ちなんてわからない」だ。

 分かるわけがない。何故身体に有害しかない煙を吸い込み、大切なお金を回らない社会の血税に投げる?煙草をやめたらもっと美味しいご飯が食べられるじゃないか。旅行に行く資金だって簡単に貯められる。
 なのに何故やめられない?ニコチンに毒された身体なんて何一つ誇れるものはない。ただの中毒だ。国に税金を投げる駒の一つだ。そんなのでいいのか?

 何度もこの患者さんと揉めた。酸素療法が必要なほど、肺がボロボロになっている患者は私の指導に対して拒否が増えた。

「そんなもの、持って帰ったら煙草が吸えないだろ!」

「苦しくなって車で事故ったら誰が迷惑だと思ってんのさ!」

「俺はもういいんだ、死ぬまで煙草を吸って死にたい!もう構わないでくれ!」

 彼は酸素飽和度が88%(普通の人で96%)を切る状態だったが、煙草を死ぬまで吸いたいという強い希望から、在宅酸素療法を拒否し、ギリギリまで抗がん剤を選択した。

 何度もへやから抜け出して地下二階でこっそりタバコを吸いに行く。場所はわかっているので、大体連れ戻すのはパワーがあり、ガタイのいい私の役目だ。(一応、男性スタッフは一人いたが、基本この患者さんと口論しても負けるので頼まない)いつものように車椅子を持って迎えに行く。

「またやってんの?」

「おう! 迎えご苦労さん」

 抗がん剤でツルツルになった頭を光らせ、彼は私に灰がまだ残る煙草を見せた。吸う、と言ってももう彼は吸えていない。匂いや煙を味わう程度だ。味覚も狂い、食の楽しみもなくなり、癌の進行で痛みも増えた。
 元々ベースの酸素飽和度が低い上、咳も酷いので煙草を吸いに出かけるまでは良いが、戻って来られない。
 誰も声がでかく、いつも怒るこの面倒な人に関わりたがらないのでしょうがなく私が動いていた。他のスタッフのように、私も小さくて可愛い人種であれば、こんな損な役回りはなかっただろう。



 息が荒い患者さんを乗せて部屋に着くと彼は一言、「すまねーな」と言って去る。
 月日が過ぎ、彼の抗がん剤は効かなくなった。今のように色々な種類があったわけではない。彼の「がん細胞」に効く抗がん剤の打つ手が無くなったのだ。

 痛みは日に日に増し、彼が看護師に怒鳴り八つ当たりする事が増えた。煙草も吸いに行けないほど、足腰は弱り、ついに膀胱留置カテーテルまで入れられた。

 ある日、彼を受けもちした時に、ぽつりと言われた言葉がある。



「煙草吸ってねえから、まだ死ねねえな」



 彼はもう歩けないし、綺麗な奥様は煙草が吸えないのを知っていたので、先日全て持って帰ってもらった。なので、彼が言うタバコはどこにもない。
 先日、どういう会話が奥様とされたのかわからないが、ある日主人を地下二階へ連れて行きたいと奥様から言伝があり、私は意図を察していたので特に止めなかった。

 5分後、階段で病棟に戻ってきた綺麗な奥様は髪を振り乱したまま、主人を助けて下さいと泣きながら戻ってきた。
 事情を聞くと、奥様の手を振り払って咳が止まらない、手も震えて力もない、なのにタバコを自分で吸おうとして地下で車椅子から立ち上がり転倒したらしい。今は玄関の守衛さんにみてもらっているが、病棟へ報告に来てくれたとの事。
 やっぱりな、と言う同僚からの溜息と、こっそり煙草に行かせた私は上長にしこたま怒られた。それは当然だ。
 けれども彼の最後の望みを叶えないと八つ当たりの矛先はスタッフへ向く。彼は子供も小さいし、こんなに綺麗な奥様にでかい声で八つ当たりする姿は見るに耐えなかった。

 責任を取って私は奥様と地下二階へ迎えに行った。すると彼はいつものように私に手をあげて、

「おう! 迎えご苦労さん」
 と言ってくれると思った。



「○○さん、デコ切れてるから、部屋戻りましょ」

 守衛さんと二人がかりででかい男性を両脇から抱えて車椅子に戻す。奥様は何も出来なくなった夫の姿を受け入れが出来ず、後ろで声を殺して泣いていた。

「迎えご苦労さんじゃないの?」

 私は奥様が泣いている姿を見せたくなかったのでいつものように茶化してみたが、彼は想像以上に麻薬の副作用(鎮痛剤)で身体が動かなくなっている現実にショックを隠せないようだった。




「もう、早く楽にしてほしい」




 それが、無表情の彼が言った最後の言葉だった。
 煙草が吸えないなら生きている価値がないというくらい、彼は煙草に対しての気持ちが強かった。
 結局、この脱走劇は私と奥様が上長にしこたま怒られ、彼は部屋から出られないように床センサーを敷かれるという結末となった。

 それから3ヶ月、あれほど煙草煙草と騒いでいた彼は心を閉じた。それでも日に日に悪化する痛みがしんどくて持続点滴に変わったが、激痛で時々獣のような声を荒げる。
 煙草が吸えない自分への苛立ちで奥様へ八つ当たりする回数が増え、ついに奥様も疲れてしまい面会に来なくなった。


 あまりにも痛みで大声を出すので、同室者からのクレームが相次ぎ、彼は金銭的事情でよくはなかったが、一人部屋に移動してもらった。
 私はいつものようにリーダー業務をやる時に必ず全員に声をかける。えらい人でもないと言うのに、これはもはや日課だ。

「○○さん、昨日ご飯食べれた?」

 痛くて食べられないのは知っていた。けれども、私は日常から患者以外と会話をする事がなく、実家でも挨拶しかしない関係なので、基本会話の言葉選びがとんでもなく少ない。
 ああ、こいつはバカだろうな……と呆れられるくらいごく当たり前の会話しか出来ないし、会話しても楽しい引き出しを開ける事もない。

「○○さん、今日は天気いいですよ、午後にちょっと屋上行きませんか?」

 外の空気を吸わせることは大切だ。彼には奥様が必要品の運搬以外もう面会に来なくなってしまったし、まだ保育園くらいの可愛い子供達にあの姿を見せたく無かったのか、可愛い子供達も面会に来なくなった。
 何を話しかけても誰に対しても全部無視するように心を閉ざした彼だったが、屋上の言葉に食いついた。

「いいのか? 俺を、連れていったらまた怒られるぞ」

 正直リーダー業務をしながら彼を屋上へ連れて行くほど私は仕事ができる人間ではない。ただ、心の拠り所と捌け口を失った彼をどうにかしたいという気持ちでしまった! と思ったが言った後の祭りだ。

 別に患者さんが屋上へ“スタッフと一緒に行く“のは止められていない。現に時間がある時は末期の方を数人連れていき屋上にある花を見たり心の空気の入れ替えをしていた。

 何とか休憩時間を削り、私は彼との約束を果たした。リクライニング車椅子でないともう対応出来ない彼の身体は重かった。屋上の前にあるステップが登れずに、滝のような汗を噴き出した。

「無理すんなって、もういいんだ……」

「いや、ここで私の馬鹿力が使えないとどこで使うのさ」

 必死にやったが、やはりリクライニング車椅子はステップを登れず途方にくれた。そこでふと誰がが回収し忘れた普通の車椅子が視界に入る。

「そうだよ、○○さん! こっち乗り換えて!」

 癌の激痛で動くのもやっとな患者さんにこの看護師は何を言ってるんだろう?と思われたかもしれない。それでも、彼の心の扉をもう一度開けるには一度外に出したかった。地下二階の煙たい空気しか吸えない、一度も外出出来ない彼はどんどん心を閉ざして行く。

 これで普通車椅子に移れないと言われたら諦めよう。そう思ったが、彼は乗り気で車椅子への移動を決めた。
 下半身麻痺で全く身体が動かない患者を抱きしめたまま、そっと車椅子に乗せる。何度もアームレストにぶつかり、足がもつれて動かない、最初は浅く座ったせいで姿勢が安定しなかった。座り直ししてくださいとも言えず、結局また私が抱き抱えて直すのだ。
 一度だけ「いてえ!死んじまうだろ馬鹿野郎!」と怒られたが、何とかステップを登り、当時咲いていた朝顔を見ながら彼はぽつりとつぶやいた。

「あんただから聞くけど、俺はあと何日地獄を見れば楽になれるんだ?」

 今も殆どがそうだが、安楽死というものが推奨されなかった時代だ。むしろ安楽死を選択する事で医療従事者や医者が殺人罪に処される事が多い。
 例えそれが善意であろうとも、安楽死を選ぶ道は無かった。

 毎日灼熱感に襲われ、動けない、楽しみもない、誰も愛してくれない、彼は孤独で自由もない余生だった。一日でも早く楽にしてほしい。感情の消えた目がそう訴えていた。

 私は何も答えられずにただ黙って一緒に屋上を回った。



「朝顔、綺麗ですね」

「もう昼だけどな」


 私は花の名前なんて全く詳しくない。昼も夕方も咲いていたあれは朝顔ではなく、違う花だったのかもしれない。バカなコメントを返した私の言葉に、彼は苦笑いしていた。



「煙草、吸いてえな」




 彼の車椅子移動は本当に大変だったので、結局一度しか屋上に連れて行けなかったが、彼は外の空気を吸った事で少しだけ変わった。今までは看護師に痛くて怒鳴り散らすだけだったが、その後に「悪いな……」と必ず言うようになった。
 え、○○さんが謝るなんて明日は雨か?と言われて逆に不安がるスタッフも多かったが、彼の中で間違いなく何か変わったらしい。

 ただ、私は彼の望みである煙草を吸って死にたいを叶える事は出来なかった。
 運搬だけ面会に来る奥様がもう使わないと完全にライターごと撤去してしまわれたので、何もなかったのだ。
 元々危険物は持ち込み禁止だったので、本来置いてある時点でおかしいのだが、怖いこの方に「それは嫁のだから置いておけ!」と言われると誰も撤去は出来なかった。



 屋上に行って僅か1週間後、彼は眠るように息を引き取った。誰も見守る人がない中で。
 急変だった。
 もちろん、ノーマークだった彼に心電図モニター管理はしていない。

 原因は不明のままだが、多分、癌の進行による呼吸停止か何かで片付けられたのだと思う。

 治療に望み、絶望と復帰を繰り返していく闘病生活を私は美化して書く事は絶対にできない。

 本人にしか分からないつらさ、支える家族の介護疲れに寄り添いながら、双方の意見を聞き「良い看護というものは一体何なのか」今も働く場所は違えど模索している。

 多分、これは私が看護師である限り、答えの出ない一生の課題なんだと思う。

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