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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第23話 埋まらない溝


 私は慌てた様子の店長に突然呼び出しを受けた。どうやら私宛の電話らしい。
 弘樹さんからのようで、私の命に関わる大事な事と言われて渋々受けたらしい。
 一緒にVIPルームに居た荵さんもやや不満そうな顔をしていたが、彼を何とか宥めて電話に出た。

『麻衣ちゃん、N大附属病院の手術室前まで来て! 今すぐ!』

 弘樹さんの声の後ろで救急隊の声と、女性の声が聞こえる。その人が忍と連呼していたので、私にも状況がすぐに理解出来た。
 そう言えば先ほど新宿中央公園付近で通り魔事件があったと緊急ニュースが流れていた。店がざわついているので、内容まで詳しく見ていなかったが、もしかしたら──。

「弘樹さん、忍は……」

『サバイバルナイフで刺された。致命症は避けたみたいだけど出血が酷い。今──』

 弘樹さんとの電話を真後ろに立っていた荵さんに切られた。無惨にも耳元で電話の途切れた電子音がツーツーと鳴る。何故、と私は動揺したまま彼を見上げた。
 私の肩を両手で掴んできた荵さんの顔にはいつもの余裕たっぷりな笑顔はなく、何かに怯えたように見えた。

「やっと僕に惚れてくれたと思っていたのに……君はまだあの男を追いかけると言うのかい?」

「荵さん……」

「僕はマキちゃんが欲しい。なのに、どうしてあの男なんだ。権力も金も全て手に入れた。身なりだって、一位になる為に必死に磨き上げたものだ。後は……後は僕に何が足りない? 教えてよ」

 荵さんは私を通して失ったお姉さんを見ているだけだ。互いの傷の舐め合いで一緒に居たものの、これ以上の関係は良いとは思えない。
 荵さんは魅力の塊だ。これはお世辞ではない。ただ綺麗なだけではホストで一位になれないのは勿論知っている。話術、身だしなみ、礼儀、知識と教養。
 見た目も素敵だが、彼は性格も優しいし素敵な笑顔を持っている。私よりも、絶対に素敵な女性がすぐに見つかる。
 忍が命がけの怪我をしたのは、私の優柔不断な気持ちに白黒つける為。

「荵さん、離して下さい。早くN大附属病院に行かないと」

 弘樹さんは冗談を言う人ではない。何度もこの店に電話をしてきたくらいだ。かなり緊急事態なのだろう。しかし荵さんは激しく首を振り、許してくれなかった。

「彼の側には彼女と親友がついている。マキちゃんが行く必要なんてない」

 確かに弘樹さんが側に居てくれるから安心だ。それに電話越しで忍の名前を叫び続ける女性の声もあった。今更私が行った所で出来る事なんて何も無いだろう。
 それでも、もしこれが万が一最後の別れになってしまったら、私は一生後悔し続ける。

「マキ、ちゃん?」

 私は覚悟を決めて荵さん──霧雨さんと向き合った。もう彼を荵さんとは呼ばない。たかが名前、と思われるかも知れないが、私にとって名前は何よりも大切だ。

「ごめんなさい、“霧雨さん“。忍は……ただの兄貴じゃないんです。彼が居ないと私は生きる道標を見失ってしまうんです」

「マキ、ちゃん……」

 私の気持ちの変化を察したのか、霧雨さんの手に力はなかった。私は両手でそれをそっと引き剥がし、彼に深々と頭を下げる。

「本当に、今までありがとうございました」

「マキ……」

 まだ驚き目を丸めている霧雨さんをそのままに、自分のロッカーからカバンを乱暴に取り出すとそのままタクシーを拾いに外へ飛び出した。

 弘樹さんにLINE電話をかけたが繋がらない。状況が分からない不安に心臓が何度も変な発作を繰り返したが、とにかく今は急ぐしかなかった。こんな時に限って、携帯アプリのタクシーも検索画面から動かなかった。
 仕方がないので私は大通りまで出て病院の方までとにかく全力で走った。
 新宿はとにかく人が多い。何度も人にぶつかり怒声を浴びせられたがその度に頭を下げ、それでも急ぐ足を止めない。
 早く忍に会わないと。このまま最後の別れなんて、絶対に嫌だ。

「うあっ」

 何も無い所でつんのめって転んだ私は楽しそうに笑いながら歩いていた若いカップルにぶつかった。

「大丈夫ですかあ?」

「すいません……ありがとうございます」

 久しぶりに走ったせいで足元がおぼつかないのかと思いきや、私の左足のヒールは踵三分の一程斜めにポッキリ折れていた。
 病院まであと少しと言うのに、本当についてない。これでは走れないと思い両足のヒールを脱ぎ冷たいコンクリートに足をつける。
 舗装された道とは言え砂利部分もあるので体重をかけると少し痛むが、多少の距離ならばどうとでもなるだろう。



 ────


 手術室の待機場所で執刀医が困った顔で弘樹に声をかけていた。

「時間の無駄だ。早く手術をしないと術後の侵襲が酷くなるだけだ」

「わかってます、あと2分だけ待って下さい。今あいつの妹がここに向かっているので……」

 壁時計を見上げると夜22時を指していた。電話をかけてから30分近く経過している。環境が整っているのに手術を先延ばしにするのは無意味だ。
 今もあちこち出血しているのに、それを黙って放置するのは殺人補助みたいなものだ。しかし病院側も勝手に手術に踏み込めない事情があった。それが家族不在で本人の意思確認が出来ない場合の同意書だ。

 本人の意思が無い場合、近親者の同意が最低限必要となる。自分は天涯孤独と言っていた忍の場合、近場で彼の保証人は親友の弘樹になる。後は彼を雇っているこの病院。

「田畑くんは家族なんて居ないと言っていた。親友である君がゴーサインを出してくれたら、それで病院と代理人としての許可を得たとしてすぐに執刀できるのに」

 外科の藤原先生の言う事は正論だった。弘樹は唇を噛み締めたまま深々と頭を下げた。

「……わかりました。お願いします」

 待機場所の先にある厳重な二重扉が重々しく閉められた。到着が、遅かった。
 目の前には弘樹さんと彼女らしい人が立っているので、今慌ただしく中に運ばれていったのは忍なのだろう。

「ひろ、き……さん。忍は……?」

「どうしたんだい、その足……! 田畑は今、緊急開腹手術に入った」

 私は弘樹さんに指摘されてあちこち擦りむいて出血しているスネと、ストッキングが破れて足裏から結構出血しているのに気がついた。
 そのまま全身の脱力感に襲われて崩れ落ちていると、先ほどの女性がツカツカと私の前まで歩みよってきた。

「ちょっと、部外者は立ち入り禁止よ」

「彼女は──」

 弘樹さんが何か言う前に女性は再度私に侮蔑めいた視線で冷たく言い放った。

「そんなチャラチャラした格好で病院に来るなんて、非常識もいい所ね」

 部外者、非常識。
 そうか、そういう風にしか見られないのか。
 ただ忍の無事を確認したくて、何も考えていなかった。
 弘樹さんは私の事を知っているから理解してくれている。でも他の人は違う。
 一般の人間から見ると、私は部外者で非常識な人間なんだと改めて思い知らされた。

 忍が働いている環境と新しい彼女にとって迷惑になるのであれば、これが本当に最後の別れであっても仕方がないのだろうか──?


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#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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