生きることをやめたくなったときのこと


ある日、近くの図書館で勉強していたのですがお財布を家に置いてきてしまい、とりあえず家に戻りました。
家に食材があったので、節約にもなると思い、(作り置きなどはなかったので)ささっとオムライスを作って食べていました。
その時に、母に
オムライスなんで自分の分しか作らないの?(寝ているように見えたので、冷蔵庫にお母さんの分はラップかけて置いてました。あるよ、と言ったらなんで言わないんだ!性根がねじ曲がってる!と言われてしまいました。)
受験するとか身の程に合わないこといっといて、ご飯わざわざ作るなんて余裕やな、落ちればいいのに。出来ないことできるとか言うな。そんなんで受かると思うな。
など、こういう趣旨のことを言われました。
普段からこのようなことをよく言われていたので、ずっとお母さんと対面しないように過ごしていたのですが、同じ家にいるとそうもいかなかった。
連日の勉強に対するストレスや、ストレスによる睡眠不足で気分が落ち込んでいた私にとってはいつもとは比べ物にならないショックで、自分の全てを否定されたような気持ちになりました。
そして、この話から、受験の話、心療内科の話に写り、言い合いのような状況が夜まで続きました。
どんどん心がぐちゃぐちゃになっていくし、予定していた勉強が出来ない事への焦燥感、眠気、色々なことに耐えきれなくなって、お母さんが寝たあともずっと頭がぐるぐるしていて、涙も止まりませんでした。
泣く暇があるなら勉強した方がいいし、寝た方がいいことはわかっている。眠たいのに寝れない。文字通り、何も出来なくなってしまった。
死んでしまいたい。
生まれてこなきゃよかった。自我を持ちたくなかった。もう死んでしまいたいのに、今までの楽しい記憶が死ぬことを責めていて、もう何も考えたくない。色んなことが頭をよぎるのに何もまとまらない思考が本当に嫌になりました。
そして、睡眠薬代わりに使っていたレスタミン錠剤を多量摂取してしまいました。

レスタミン錠剤の危険性については事前に何度も調べていたのでわかっていました。
というより、危険性について調べている時に頭のどこかで これを沢山飲めば死ねるかもしれないなと考えていたと思います。
私は睡眠薬代わりにと思ってレスタミン錠剤を使っているつもりで、心のどこかではいつでも死ねるためのものがあると安心だなと考えていたのだなと今となってはわかります。

だから、あの時、もはや私は死にたいと言うより何も考えれなくなりたいと思っていたのですが、カッターや、はさみではなく、レスタミン錠剤に手が伸びたのだと思います。
レスタミン錠剤の致死量は個人差はあるようですが、私はとりあえず持ってい残りのものを全て飲もうとしました。
でも、全部は飲みきれなかった。
偏頭痛などで錠剤を飲むことには慣れていますが、それでもたくさんは飲めなかった。泣いていて、しゃっくりがあったとか、理由は沢山あるけど、沢山飲み込んでるうちに、苦しくなって、飲み込めなくなってきて、ちょっとえづいて、それでも飲もうとして、 をずっと繰り返しているうちに(1粒ずつじゃなくて沢山口にいれてしまったこと、糖衣錠なのもあるかと思います。)段々と薬の影響で強い眠気と、意識が朦朧としてきて、吐き気と、(嘔吐もありました)幻覚(具体的に書くと苦手な方いると思うので控えます)、手が震えたりして、記憶は曖昧なのですが、とりあえず心臓のバクバクが気持ち悪く、吐き気も辛く 、ひたすらに苦しかったです。

結果として、私は生きているので、どれくらい飲んだかは分からないですが、致死量は飲めなかったんです。

でも、もう二度と多量摂取はしたくないと思いました。それくらいに凄く眠いのに眠れないし吐き気がする。寝つきが悪くて睡眠時間が減るとかじゃ比べ物にならなかった。気持ち悪いのが続くのもしんどかったし、地獄が延々と続いてる感じでした。苦しい時間は長く感じるのもあると思います。眠れてるのか意識が飛んでるのかわからないけど、寝た感じになってもすぐに起きてしまったり、体調悪い時のうなされる感じが酷くなったみたいなイメージですが、しんどかったです。
3日くらいは体の調子が悪くて、手の震えは結構長引きました。

今はもう、体調も治って元気です。
手も震えてないです。

多量摂取してた時は、すごく苦しくてもういっそ誰か殺して欲しいとすら思いました。
それに、体調が治りかけて来た時に、思考が働くようになって、こんなことをしてしまう自分への嫌悪感とか、結局根本的な問題解決に全く繋がってないところとか、結構悩みました。それこそ、多量摂取する前くらいに気持ちは沈みました。
すごく辛かったけど、再度自傷行為に走ることは無かったです。
過剰摂取が凄くしんどかったのが印象的で、私の体は生物として、本能的に生きたがっていたんだなぁ、と実感しました。
それと同時に、まだ生物的本能は働くんだなと思うとなんだか嬉しかったです。安心したと言った方が正しいかもしれません。

ずっと心がしんどくて、どんなに楽しいことがあってもしんどさが消えなくて、楽しいことが心にとどまってくれないような、そういう状況が続いていることに対して、私は失望もしていました。 死に続けているような気持ちでした。どれだけ、みなさんが優しい言葉をかけてくれても、色々助けてくださっても、友達とまた遊びたい気持ちがあっても、死にたい気持ちはずっと消えなかった。心の中で、ずっと、小さくてもはっきりと死にたい気持ちはありました。

そんな中で、私の身体の、生きたいという反応は、感情はなく、機械的ですが、だからこそ無理やりにでも私を終わらせないでくれました。
生きていて正解なのか、そうじゃないのか、決めることは私にも、誰にも、出来ないだろうなと思います。基準も決められない。
ただ、そんな自分の中の矛盾には、自分が生きてることを実感させられました。
ずっと死んだ気持ちで、死んでるけど生き返れるように頑張ろうみたいな気持ちで生活してきたけど、ずっと生きてたな、って思いました。
勝手に、自分の中で、自分をころしていたんだなと気付きました。自分で、治さなきゃいけない心にとどめをさそうとしていました。

それがようやくわかった私は今、今までよりも、私です。
ずっと、私は自分のことを誤解していたから、自己理解も足りていないし、結果として行動も自分に合ったものじゃなかった。

具体的に表しきれないけど、例えば、もう死んでるのにまだ動かなきゃ行けないって思っていたし、世の中を常に恨んでいたんだと思う。
ただ、生きてるから何をしようかなっていう思考で良かったのに。
些細なことかもしれないけど、そういう根本的なネガティブ思考とか、誤解は、物事を進める上でどんどん蓄積されて、大きくなって、積み上げた何かを崩す原因になってしまった。

今までは、ずっとしんどい辛いは沢山あったけど、そのしんどさに向き合いたくなくて、逃げて、結局どうしたらいいのかも分からなくなって、とりあえず受験して家出る、くらいのことしか言えなかった。もちろんそれは今も必要だと思うし、目指す気持ちはある変わらないけど、この解決策は不十分だったんだなって気づきました。
環境を変えることは、これからの生き方を変えるための手助けであって、解決策にはなりきれない。
家を出て、受験に成功したとして、それは願ったり叶ったりだけど、私が変わらなければそれこそ頑張ったのに辛いままになるとおもう。
お母さんとの関係性についても、私はずっと、お母さんとは仲良くあるべきだと思ってきたし、お母さんに嫌われない人間でいるべきだと思ってきました。
でも、多分その考え方は絶対じゃなかった。
もちろんお母さんとは仲良く、好かれているのはいい事だけど、お母さんに望まれる全てを私が叶えなければいけない訳では無い。
お母さんは、私を産む時、育てる時、絶対にしんどかったと思う。その、苦労に対しての感謝は絶対忘れてはいけないし、行動にもあらわすべきだけど、そこから先は、私が決めることだ。
私は、お母さんから生まれたけど、生まれた以上はもう別々の生き物だから。
子供が巣立つのは当たり前のことで、それがもしかしたら私の場合は周りに比べて早かったのかもしれない。一緒に暮らしてるけど、巣立ってたみたいな感じだったのかとしれない。そう思うことにしました。

だから、今までの不幸は捨てもしないしわざわざつまみ上げたりもしない。ただそっと心の奥にしまって、たまに覗き込みながら、一緒に色んな感情と生きていきたいと思います。

やりたい事ないから、どうしようどうしようじゃないし、やりたい事を見つけないといけない訳でもない。
生きてるんだから、やりたい事が見つかれば、やればいいんだなという心構えをずっと大切にしたい。
やりたい事ないし、家から逃げるため受験してなんとかしないといけないし、家から逃げさえすればいいんだ、という現実逃避、強迫観念じみた考えじゃなくて、
生きてるんだから、嫌なことは嫌、家にいるのは辛いから家から出るし、やりたいことはやりたいから、これからやりたい事があればやればいい。やりたいことっていうのは偉大な事じゃなくていい!っていう自由なのびのびした考え方で生きたい。
嫌々な心の中で頑張るんじゃなくて、ふつうに、気楽に、怠けずに無理なく生きたい。

まだ、メキメキ頑張るぞ!という活発な気持ちにはなれないけど、私なりに生活したいな、と思います。
三日坊主になっちゃったら、そこで辞めずに、三日坊主をたくさん繰り返したらいいかなという心持ちで。
諦めるんじゃなくて、何回もやってみる。
今までは結構諦めてきたのかな、と思うし、粘り強く動けない時もあると思うけど。
私なりに、生活したいって思います。

長々と締まりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでくださった方も、ちょっと目に留めてくださった方も、ありがとうございました。

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