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わたしは、コロナ病棟の看護師でした

プラスチックガウン一枚、隔てた向こう側。

目の前には『新型コロナウイルス』感染症の患者。

別に志願したわけでも、使命感があったわけでもなかった。

気が付いたら、自分の職場が「コロナ病棟」になっていた。

気が付いたら自分は「コロナ病棟の看護師」だった。

元々自分は入職一年目から社寮に入寮していたけど、先輩からのパワハラ被害にあって、電車に飛び降りかけたことがきっかけで実家から職場に通っていた。

寮の部屋にはたまに帰るくらい。実家から職場までは片道1時間程度。社寮にはいればもっと時間が短縮できるとおもったけど、入寮するまでしらされなかった寮の所在地は通いなれた隣の駅で、別に通勤時間は変わらなかった。

「コロナ病棟の看護師」になったことで生活が一変した。

母も同じ看護師。私がコロナに万が一感染して母へも感染してしまえば、母の職場でも問題になる。ので、私は遅ればせながら半分強制的に一人暮らしを再スタートさせた。

「コロナ病棟の看護師」になって受けたショックと、先輩たちから受ける精神的苦痛を心に抱いて。

ひたすらに日々の仕事をこなすうち、気が付いたときには、『新型コロナウイルス』というワードを見ると心拍数が上がるようになった。私は一体、なんのために看護師になったのだろうか。


※以下の記事は、自分が体験してきたことで湧き上がった感情をただひたすらに吐露しているだけのものになります。新型コロナウイルス感染症に関するすべての方々へ対する差別・批判などが目的ではありません。万が一読んでいただいた方に不快な思いや不利益などが発生いたしましても筆者は責任を負いません。下記閲覧は自己責任にてお願いいたします。

※ただ、一個人として今まで感じたこと、思ったことを形にしたいと思い綴っています。

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「今日の新規感染者数は……」

「先週と比較すると感染者数の増減は……」

「ホテルで療養する方に話を聞きました」

テレビをつければ決まって「コロナ」。
毎日常に公共の電波上でそのキーワードを耳にするようになって一体どれだけの時間が経ったのだろうか。
日々の中では確実に、その新しい脅威に適応し何も知らなかった日常への現場復帰が始まっている。
今ではマスクの着用は個人の判断に委ねられ、日々の新規感染者数は意図的に情報収集を行わなければ耳にすることも無くなった。
そんな日常に戻りつつある日々の中でもまだ、私の脳内にはビニールカーテンで仕切られ、分厚いビニールガウンと全身を覆う感染防具を身に纏って看護業務をしていた日々が鮮烈に残っている。

そのおかげで、『新型コロナウイルス』『ウィズコロナ』なんて言葉が当たり前になった今でも私は、その関連するワードを耳にすれば知らずと身体に力が入ってしまうし、胸はいやな音を立てて騒ぎ立てる。
職場でコロナの対応をしていようがいまいが、日常に入り込んでくるストレス源。

それこそ『新型コロナウイルス』という未知と日本が対面しはじめた頃。
最初の内は耳に入ってくる言葉に対して「なかなか感染者が減らないな」ぐらいに思っていた。けれど、だんだんと期間が長くなるにつれ、「勘弁してほしい」という、うんざりした気持ちと「こんなに私たちは頑張っているのに」という無力感、医療現場の現状を報道するだけで、その現状を改善するわけでも無いメディアへの苛立ちを募らせるようになった。

例えば、地方で大きな自然災害が発生したとする。すると最近はその情景を報道するにあたって「今からこんな映像が流れます、気分を害する恐れのあるかたは注意してくださいね」といった警告がまずアナウンスされることが多い。

PTSD、心的外傷後ストレス反応やそれに近しい反応への配慮によるものだと自分は考えている。
実際に災害で身の回りで多くのものを失った人などが、その辛い記憶をフラッシュバックさせたりしないように。

けれど、あまりにも『新型コロナウイルス』という言葉に良くも悪くも慣れてしまった世間は、コロナ対応に従事している人間に対して一切配慮してくれないな、といち『新型コロナウイルス』感染者病棟経験者として思っている。

日本全国の国民の中で、『新型コロナウイルス』感染患者へ直接対応する仕事に従事している人間がどのくらい少なくて、テレビの視聴者数の中でコロナに関する配慮をして欲しいなんて考えている人間がどのくらいかなんて大体は想像がつく。

それに、必ずしもコロナに関する報道をする前に「新型感染症に関する報道をします。気分を害する恐れのあるかたは注意してください」なんていうアナウンスが欲しいという訳でもない。

ただもうちょっと、日常的な小さな幸せのニュースが多く含まれていても良いんじゃないかという、日々のちょっとした私の心の中のささくれが、『新型コロナウイルス』に毎日対面する自分自身を疲れさせたのは確かである。
結局私は、このあと後述する「とある病棟内トラブル」も大きな一因となったこともあって、『新型コロナウイルス』と直接対面する日々から逃げ出してしまったわけであって、自分自身があの現場から身を引いた原因全てが、世間にあるとは微塵も思っていない。
し、むしろこの記事を読んでくれている方の中には、「逃げ出したやつの負け惜しみ」なんて捉える方もいるかもしれない。
けれど、この記事は、あくまでも、当時未知の脅威であったコロナウイルスと約3年間対峙した人間として、あの体験や自分の感情をなかったことにしたく無くてしたためているつもりである。

コロナに関するニュースや街頭インタビューや討論を見ると気分が悪くなったのはいつごろからなのかは覚えていない。けれど、「あれ、なんか身体の調子がおかしいかも」というすごく些細なことから始まり、最終的には「テレビをつけるとコロナの報道を見てしまうからテレビを見たくない」というある一種の恐怖へと変化をした。

当時一人暮らしをしていた家には時計が無かったので、テレビが必然と時計代わりになるのだが、音を最小限まで小さくした映像を流すことで何とか身体とメンタルの調子を保っていた。今でこそ、『新型コロナウイルス』の第一線から退いて数年が経過したことや、メディアの報道内容が変化してきたこともあり、当時ほどの恐怖を抱くことは無くなった。
けれど、あの頃に顔も声も知らない世間からの声や報道に植え付けられた恐怖は、今でも確実に残っている。

討論も、世間の言葉も聞きたくないし、もはやどうでもいい。

世間はコロナに関する現状を必要としているかもしれないけれど、プラスチックガウン一枚と、二重の手袋、不織布帽子、そして使い捨てのプラスチックゴーグルのみを身につけて、身一つで『新型コロナウイルス』感染患者への対応を要求されている側の人間――少なくとも私自身にはただひたすら「なぜコロナは減らないんですか!?医療はなにをしているんですか!?」と責められ続けている感覚に陥った。
このことは、きっと身一つ(厳密には語弊もあるが)の状態で『新型コロナウイルス』感染患者と対面する恐怖を感じたことのない両親にもきっと理解はしてもらえない。
「考えすぎ」なんて言われてしまったらそれこそ心が折れてしまうかもしれない。
そんな思いも相まって当時、日々の孤独感も強まっていく一方だった。

もし、当時私にメディアの報道内容をコントロールできる能力があったならば、『新型コロナウイルス』とその他のニュースの比率をほーんの少しだけ、変化させるだろう。
そんな些細なことでもきっと、当時の私は十分に救われたかもしれない。

とある夜勤の日。私は個室入院していた『新型コロナウイルス』感染患者を受け持った。次の日の日勤で受け持つ看護師は、私の精神を一番追い詰めている看護師だった。

その人が、ナースステーションで言った。

「あの部屋、入りたくねぇー。コロナじゃん」

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