自分の好きなところを書き出したら、無意識に周囲の価値観をインストールしてた話
こんにちは、村崎アオイです °˖✧
昨日はふたご座流星群、見えましたか? 私は偶々流れ星を見ることが出来たのに、昨日の時点で何も知らなかったので、目が疲れすぎてとうとうやばいものが見えたのかと思ってしまいました笑 1月のじぶんぎ座流星群はちゃんと見ます!
さて、前回はしょっぱなから暗いことをたくさん書いてしまったので(良かったらそっちも見てくださると😊)、
今日は前向きになれるようなテーマにしてみました。
「私は私のここが好き」
ありすぎて書ききれない~💦とか微塵もないので、さっそく書いてみます。
一度燃えるととことんやる
人の表情の変化を察知できたり、行動を観察できる
責任感が強い
素直
困っている人がいると助けたくなってしまう
今思いつく限りはこんな感じです。
でも書いてみて気づいたのですが、これって他人から褒められたところであって、必ずしも自分が好きな部分ではないかもしれない。。。
例えば人の表情を観察できることは、人の気持ちがわかるということでもあるけれど、反対にわかりすぎて情報過多になり疲れてしまう。あとは責任感が強いと、確かに様々なタスクを期限内に終わらせたり、自分の義務を全うすることはできますが、自分でかけたプレッシャーが強すぎて動けなくなることも。こんな風に必ずしも良いことばかりではないので、これらはむしろ私にとって、「うまく付き合わなければいけない性質」といったところでしょうか。
だから上で挙げたのはあくまでも他人が好きな/他人にとって都合の良い私の性格、だったのかもしれません。じゃあ私が好きな私はどこ・・・?
おっちょこちょい
何も考えていない
発想が自由
好奇心旺盛
変わってるねと言われるとなぜか嬉しくなっちゃうところ
笑笑
この特徴全部伸ばしたらとんでもないおてんば娘になりそうですが、素直に考えなおしてみたらこうなりました。私の好きなところは必ずしも役に立つとは限らず、むしろ人に迷惑をかけかねない性格だったりします。迷惑はさすがに良くないですが、自由な発想は時に相手を楽しませ、好奇心旺盛なところは新しい世界の入口になるでしょう。自分で言うのは抵抗がありますが、それが愛おしくて、大事にしたい部分だなと思ってしまいました。
他人から褒められたところ、面接で言うような自分の長所って、社会で生きていく上で必要な力に偏りがちです。もちろんそれも自分の好きなところにして良いのですが、周囲の価値観を自分にインストールしてしてまっていないかを立ち止まって考える必要があるのではないかと思いました。ちょっと大げさですが、「他人が良いと言ってくれたからこれが私の良いところ。私は私のここが好き。手放してはならない。」っていうプレッシャーみたいなものを無意識にかけてしまってはいないでしょうか。
まずは純粋に自分の好きなところを自覚して、例えそれらが有用な性質でなくても、人から好かれなくても、自己愛の塊と言われようと、守り抜きたいですね笑 そうした上で人間関係を築いた方が満足度が高いのではないかと!!ちょっと前向きになれたかなっ
ではでは
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