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本当の○○という沼(前半)

こんにちは、村崎アオイです。

大学生なので当たり前なのですが、最近は自分の進路について考える機会が増えています。その時いつもたどり着く問いが、
「私が本当にしたいことは何か」
ということです。なので今回は、この思考の沼にはまった時の、私なりの対処法をお話しようと思います。

この分野で仕事がしたいなら今から資格を取る準備をしなければいけない。
→もしその方向に進むなら何が必要なの?
→今の私には何が足りないの?
→そもそもそれは本当に私にとって必要なの?本当にその分野に興味があるの?
→私が本当にしたいこととは?

こうして誰も答えのわからない思考ループの沼が始まります。
大学受験をしたときからその時々で考え続けてきたことなので、もう慣れてはいるのですが、いまだにはっきりした答えが出ていないのではもやもやしてしまいますよね。

そもそも「本当にしたいこと」なんてあるんでしょうか。
確かに、とあるものが大好きでそれに携わりたくて仕方がないとか、ある出来事がきっかけでとか、何かを読んでその分野に目覚めた、というものがある人は、それが本当にしたいことに限りなく近いことだと思います。でも私みたいに決定的なきっかけがない(もしくはまだ出会っていないだけかもしれませんが…)人にとって、本当にしたいことなど存在するのでしょうか。

正直に言ってしまうとそんなものはないと思います。あるとしてもぼんやりとした輪郭のないもの、概念的なもので、これだっ!!て気づきにくいもの。

じゃあそうやって答えのわからない状態で、私は今までどうやって選択をしてきたのか。大学受験、大学での選択科目など、進路に関わる選択を迫られる場面はいっぱいありました。その時私は、「今後この選択を正当化しなければならない場面が出てきた時に、そうする努力ができそうかどうか」という視点で考えてきました。例えば自分の選んだ分野の勉強がきつくなって後悔する場面があったとして、その時に、「私は将来こういう人の力になれたら素敵だと思い、ちゃんと下調べしてこの分野を選んだんだ。他の分野を選んでいたら少なくともそれはできない、よしもう少し頑張ろう。」という風に踏ん張ることができるかどうかということです。「本当にしたいこと」かどうかわからなくても、それを選んだ理由や過程が今の努力の支えになれば、それで十分だと思ったのです。

思い返してみれば、私の選択/物事の解釈の仕方は、過去の選択/出来事の正当化の連続でした。今までの努力を無駄にしないためにこれを選択する、失敗があったとしても次に進むには必要なプロセスだったんだと解釈する・・・

遠い未来へのゴールを目指して積み重ねるというよりかは、過去の自分の思考/行為から矛盾しないように慎重に積み重ねるというイメージでしょうか。矛盾したとしても、未来の自分が納得できるであろう理由をつけて。

まとめると、私は過去を正当化でき、かつ未来の自分が正当化できるであろう選択を、今、今、今と、積み重ねているようです。こうやって考えてみると、「本当にしたいこと」なんて見つけようとしなくて良いと思ってしまいませんか?笑 めんどくさいことから逃げているだけかもしれませんが、慌てなくて良いと思えて気持ちが軽くなるんですよね。何かの選択に悩んでいる人も、これを読んでそう思っていただけていたら嬉しいです!

後半は、人間関係を築いている中で考えさせられる「本当の私」をテーマにしようと思います💪ではでは。


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