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物乞いが問題なのは「体裁が悪いから」じゃないでしょう

あぁなんかモヤモヤする。

きっかけはエチオピアの英字紙の記事↓

大体の訳
タイトル:
アディス(首都)のホームレスはアディスではないどこかから来ている
内容:
・アディスアベバにいるホームレスの92%は他の地域出身
・アディスには51,000人のホームレスとストリートチルドレンがいる。
・今アディスに売春婦/ストリートチルドレン/物乞いがお金を恵んでくれるよう人々に頼むことを禁止する法案がある。
・彼らに金銭を渡した者には2,000ブル(約8,000円)の罰金が科されるだろう。
・法案の目的は「身体に障碍のない路上の人々が働く代わりに物乞いを職としていることをやめさせ、彼らを家族の元に返すこと。もしくは仕事を提供すること。」
・アディス市行政担当者「物乞いは都市部の地理的/社会的構造に影響するだけでなく、観光客や海外からの訪問者に負の印象を与える。物乞いを排除する最も単純で人道的な方法は、彼らに金銭を与えることをやめることだ。」
・社会学者は物乞いを禁止するより先に堅実な経済を築き雇用を生むことを推奨している。

なんだかまた、目先の事象の解消を目的にした強引法律ができてしまいそうな…。

問題は「物乞いがいる」ことであって、「物乞いにお金をあげる」ことではないと思う。

そして、「物乞いは観光客や海外からの訪問者に負の印象を与えるから排除したい」、という臭いものに蓋感がとても強い。

現実から目を背けてないか。やらなければいけないことの責任転嫁をしていないか。

物乞いは本当に「身体に障碍のない路上の人々が働く代わりに物乞いを職としている」現象なんだろうか。

彼らがなぜ物乞いをしているかは、調べられているのだろうか。

実は、私がもっとアムハラ語を話せるようになったらやりたいと思っていたのが、この路上生活者へのインタビュー。勉強しなくては。

頑張ってトピック毎に括ってみた雑感。

求職者の流入

タイトルがとても他人事のように聞こえる。全体を読むと「アディスの人間はちゃんと働いているのに、余所者が路上で物乞いをして面汚しをしている」のように読めてしまう。

都市部に周辺地域から人々が流入してくる現象は、私の任地ディレダワでも起きている。配属先は失業者数を確認して仕事を用意し、雇用しているはずなのに失業者数が減らないという問題に頭を抱えている。

流入してくる人は煙たがられるが、彼らも仕事がないから、都市にくるのだ。農村部で雇用促進・事業支援は機能しているか、確認はされているだろうか。

物乞い禁止の先

この記事の書き方は物乞いを「五体満足で働けるのに人にお金をせびっている」と捉えてるように読める。

物乞いをやめて家族の元に帰りなさいというが、彼らに家族がいなかったら?仕事を提供するというが、今は大卒者さえ就職が難しい。そのなかでどうやって継続的に仕事を与える?放り出された人々を守る力が、今のエチオピア政府にあるのだろうか。

私は社会学者の意見に賛成するが、学者は議論から外されてしまっているんだ、と同僚が嘆いていたのを思い出す。

金銭を与える罪

ここを考えるのが難しい。

開発学でよく言われること。「魚を与えるより魚の釣り方を教えなさい」。私もその場しのぎのお金はあげないようにしてきた。

しかし金銭を与えることに罰金、に違和感を覚える。

私は矛盾していないか。私はあげないけど他の人があげる分にはいいんじゃない、なんて思っているのだろうか?私は。

確かに物乞いにお金をあげる現地の人は多い。皆敬虔なキリスト教徒かイスラム教徒だから、寄付文化が根付いているのだと推測している。

それで生き長らえてる人もいるのだろう。助け合いの心を強くもつ、この国の人たちを美しいとも思う。

そんな人たちに懲罰の矛先を向けるのは、責任転嫁ではないのか。なんでも政府を批判すればいいものではないことも、強く心に刻んでおきたいけれど。



物乞いになってしまった経緯を追って、制度の穴を埋め必要な生活支援を用意して、transitionプログラム(上手い訳が思い付かない)でフォローアップをする…ができたらいいのでは。

言うのは簡単なのも分かってる。

今の活動とも十分結び付いてるこの問題。任期中は悩むんだろうな。

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