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最終報告と記録の価値

ちょうど1週間前に最終報告を終えました。

同期は6人。色々あったり違う選択肢を選んだりで、発表者は2人。

15分の日本語プレゼン。その中から、「記録の価値」に気づいたという話。活動にかかわる内容は、任期を終えるときのnoteにとっておく。



最終報告の中でこんな数字を紹介した。

約230と約255,203

これは私がnoteで書いた、エチオピアと協力隊に関するnote数と字数。字数は50note分までカウントして4.6倍した。そのうちちゃんと数えようと思ってはいる。

「現地や協力隊のことを伝える」も私たちの活動内容。これだけは、自分を許してあげられるレベルまでできたのかな。

人に言わずひっそりやっているもんで全体ビューは約35,000と少ないけれど、ここでエチオピアを知って声をかけてくださった方もいるし、将来の参考にしてくださった方もいるし、書いていてよかった。

なにより、私が過去のnoteに救われた。


今年は守りの1年だった。ディレダワを去りエチオピアを去ってじわじわ感じる罪悪感、無力感、悔しさ、やりきれなさ、自分の・世界の将来への不安、世間の閉塞感。今年そこここで聞いたような言葉でしか書けないのが残念だが、多分に漏れず私もそういうものから自分を守るのに精一杯であった。スローガンは「心身の健康を保つことに集中する」。

よく、エチオピアでできなかったことを数えた。
あれがダメになった。
これもできなかった。
これはここまでしかできてない。
思考回路がまぁまぁヤバかった時期もある。


そこをなんとか乗り切り、でも超低空飛行をしていたころに読み返したのがこのnote。

当時持っていたのと似た想いについて、ディレダワから引き上げた翌日のタイミングで書いたもの。

と、思っていた。普段タイトルしか目にしないから。

読んでみたら、「ディレダワにいた頃の大ボスに感想を聞かれフィードバックしたら感謝された話」が綴られていた。私がすっっっっかり忘れていた話だった。

大ボスはちゃんとメモを取り(これができる人はとても少ない)、「よく見てるね」と時折苦笑いしながら聞いてくれた。
話し終わったあとには、「ありがとう。これが聞きたくて呼んだんだ。だって、たださよならするんじゃ悲しいだろう。」と。

ここまで読んだら、その時の大ボスの表情や陽の当たる執務室、交わした握手の感触まで思い出した。

私にもちょっとはできたことがあったなと、少し救われた。
そこから気のすむまで、昔のnoteを読み返した。


最終報告にあたり、また過去のnoteたちにザッと目を通した。
「よくやった」
エチオピア事務所長が講評でかけてくれた言葉に胸を張れそうな、私の生活と観察と思考の記録である。



noteに出すものは多少よそ行きの仕様になっている。
生の声は、私の活動ノートと手帳にあふれている。
2年をほぼ終えただけの時点でさえこれだけ価値あるように思えるのだから、この先この記録達はもっとその輝きを増すのかもしれない。

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