10/12 「女の子を殺」す『徒然草』

 雪の面白う降りたりし朝、人の許、言ふべき事ありて、文をやるとて、雪のこと何とも言はざりし返事に、「この雪、いかが見ると、一筆のたまはせぬ程の、僻々しからん人の仰せらるる事、聞き入るべきかは。返す返す口惜しき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。
 今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れ難し。
『徒然草』三十一段
 九月二十日の頃、或る人に誘はれ奉りて、明くるまで、月見歩く事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、態とならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、忍びたる気配、いと物哀れなり。
 良き程にて、出で給ひぬれど、猶、事ざまの優に覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸を今少し押し開けて、月見る気色なり。やがて掛け籠もらましかば、口惜しからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。
 その人、程無く失せにけりと聞き侍りし。
『徒然草』三十二段

 女性の風雅の思い出を語り、「今は亡き人なれば、かばかりの事も忘れ難し」「その人、程無く失せにけり、と聞き侍りし。」と締められる『徒然草』三十一、三十二段。「無常観」と言ってしまえばそれまでかもしれないが、しかし今はもう会うことのできない美しい女性を思い出し感傷に浸るというのは、妙に美しくロマンチックで、『女の子を殺さないために』的な議論を思い出させもする。この二つの段は、村上春樹的なものへと通ずるものがある気がする……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?