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11.27雑録(幸せについて???)
訪頂有難御座。
今日は先輩に連れられ比叡山を登ってきた。(750mくらい)
メンバーは5人いたが、その先輩がかき集めただけで他4人の面識は無しという不思議な山登りだった。
近頃は女っ気のない生活を送っている主としては、一緒に参加していた女の人にとても心臓が持たなかった……。というより、一年前に別れた彼女と顔立ちも服装もメイクも似ていて、焦りに焦ったのだった。
途中までその方と少しばかり話しながら登っていたが、だんだんと自分の心の余裕がなくなってくるのを感じて、これ以上関わっちゃダメな人だと魂にストップが掛かった。
そこからは話のないまま自分の中で内声だけが響き続けて、最終的には「こんな人と出会えてよかった幸せな日だ〜」と謎の満足をし、下山した。(?)
帰ってからは、最近借りてきた「方法序説」(デカルト)を読んだ。
まだ半分のところまで読んだだけだけれど、
「デカルトさんあなた。哲学者の割に、意外と世渡り上手ですね?」
と感じる。というのも理想を語るだけじゃなく、理想と現実のギャップを自覚して、現実をちょっとずつ理想へ寄せていこうとする感じが見受けられる。またその方法の徹底具合も凄い。理想的な方法を考えつくことはできてもそれを実践することが人間には難しいものだが、デカルトはそれを鮮やかなまでにしてのけている。
何より好きだと思うのは、デカルトが自分が恵まれた環境に育ったことを自覚しているところだ。
……
と、ここまで書いて「恵まれた環境」の言い換えはないかと調べてみると、「幸せ」と出てきた。
なるほどなかなかシンプルでいい定義だ。
幸せ=恵まれていること
今の主にはこの定義、なかなか非の打ち所が見つからない。なぜならさっきの人に出会えたことは、自分にとっての恵みに思われたちょうどそのところだったからだ。
読者の皆様も現在恵まれておられることをお祈り申し上げて、本日はここまでと致します。
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