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幸せの語源

幸せになりたいとか、幸せになってねとか
つい日常的によく使ってしまう言葉だけど

幸せとは気づくもの、もう既にあるものだって良く言われている事だし
本当にそう思う。

現代は願いが叶いすぎてる。
だから少しでも叶わないことがあると不足感を感じやすくなってるのかもしれない。

長い年月をかけて見聞きしてきたものを通して、
物事の悪い側面ばかりを見るような思考の癖がついて、悪い方を見なければ不安になったりするマインドが、少なからず私にはあったなと思う。

ABC理論(物事の認知の仕方で感情が変わる)とか
ポジティブに向かうための方法論、考え方は色々世の中にはあるけれど、

理不尽な暴力・暴言とか、避けられなかった事件・事故・災害とか、自分ではどうにもならないこともある。

何か大事なものを失った人、辛さでいっぱいの人に、幸せは気づくものだという言葉はかけられないしなぁとも思う。

私が人生の中でどん底だった時に、何か救える言葉はあるかなと思いを馳せてみたけど、
届く言葉なんて何もなかっただろうなと思う。
言えるとしたら、
"それでいいから、生きててくれるだけでいいから、どうかそのまま未来まで身体を持ってきて、大丈夫だから"
かなぁ…


「幸」という文字は、手枷の象形といわれているらしい。

多くの刑の中で、生命や身体の一部を失うことがない手かせをはめられて、手を使う自由だけを奪(うば)われる刑である「幸」は、とても「しあわせ」だったのです。

https://www.47news.jp/21865.html

幸せのハードルは語源からすれば、とても低い。


…幼い頃の私は、宗教二世で、父が時々ギャンブラーで、衣食住とか教育にまであまりお金がまわってこなくて・・
7歳頃に不審者に連れてかれた影響もあって、何年間か学校以外は家に軟禁…というと大袈裟だけど
親に家の外に出てはダメと言われて、言いつけを守ってた。
それまでは毎日友達と楽しく外で遊んでたけど、家で1人で過ごすことが多かった。
6人家族だったけど、年の離れた末っ子ということもあり、圧倒的に1人が多かった。
学校では、私は場面緘黙症だったから、とても困ってた。
今思うと、とても可哀想な状況だったなと思うけど、そうじゃなかった。
自分を可哀想とは思ってなかった。

しんどさも確かに感じてたけど、
楽しい事もたくさんあったし
とある日に家で、ストーブの前で座って暖かくて、
あー幸せだなぁって心の底から感じたのを覚えてる。
あの時、辛いのを誤魔化すわけでもなんでもなく
ただ暖かいということに
本当に、心から幸せを感じてた。

大人になってからの方が環境的には凄く恵まれているのに、すっかり子供の頃のような生きる力みたいなものが薄れてしまってたと思う。
とはいえ、子供時代をもう一度やれるかというとできないし、何も知らなかったから耐えられたのだとも思う。

子供の頃の経験と、大人になってからの苦しい経験は今の私を作る為に必要だった。
きっと生まれる前に、意図的にこの環境を選んだ。

それに気づけるようになるまでが、本当に大変だった。気づいてからもちょっと大変だった…

渦中にいる時は、誰にも救えなかったりするし
どんな言葉も励ましにはならないかもしれないけど

「生きてるだけで大丈夫」だと、
今なら確かに、私がはっきり言える言葉だと思う。









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