手帳の話

11月下旬に手帳を買った。

来年1月始まりのしっかりした手帳である。

今年度は紙の手帳を使っていなかった。スマートフォンの手帳アプリを使っていたこともあるが、就職活動が終わるころに使うのを辞めたのだ。紙の手帳に色々書き込むのは得意でなかった。そもそも、手帳を開いて、記入して、管理する、というしっかりした使い方ができていなかったと思う。(そもそも予定の管理をしっかりするために使うのが手帳なはずなので、何のために持っていたのかわからない)書くものもペンばかりにこだわり、字は汚いし、ともかく上手く使えていなかったので、辞めてしまっていた。就職したらしたで、仕事用、というか仕事のために手帳を買うのがとてもしゃくだった。働くのが嫌いだったのだろう。

なんだかプライベートと仕事を分けたくてしょうがなかったし。ただ、仕事中に先輩が「きちんと」手帳を使っているのをみて、本当に素直に「あ、こうやって使えばいいのか…」と知った。今まで手帳を使っていた頃、お前は何を基準に本屋で手にとってはめくり、手にとっては置きを繰り返していたんだと自分にあきれたが、そこでやっとはじめて使い方をのみ込んだのである。

よし、自分も手帳を使おう、とりあえず先輩の似たような形式の、あ、自分が色々書き込んでまで使えるとは思わないから、小さめの…と思い立ち、これもまた、本屋の手帳コーナーで大変な時間をかけて選んだのである。もはや、使うより選ぶのが好きなんじゃないだろうかと思うが、そうして買った手帳に今、少しだけ後悔している。入院したのだ。

別に手帳のせいでも何でもないが、入院とは暇である。もはや入院イコール暇である。することもないが、その日のことを書いておくのは大事なんじゃないかと思いたった。(日記が続いたことがない身からすれば、進歩である)あまりに急いだ入院だったため、書くものはペンと手帳、メモ用紙だけだった。手帳に物事でも書いてみたら、スペースがあっという間に埋まってしまった。いらないと思ってわざと少ないのを探したのだが、こうも少ないものだったか、と少しだけ驚いた。

そして、手帳を書き連ねて管理するために必要だったものは余裕だったんじゃないかと思った。スケジュールを見て記入する、開いて計画を立てる、俯瞰して考えてみる…。わたしは予定!書く!と書くことしか手帳に意味を理解していなかった。暇すぎて逆に書けることを書いてみると、思っていることが整理され、スケジュールやパーチクルやインデックスという分け方の本当のありがたみに気づけたのだ。

大きな手帳を店頭で見かけても(ほぼ日)いやいや、そんな埋めても続かないって…と思っていた。大きな手帳は余裕の表れだったのかもしれない。手帳を使いこなすために必要だったことに、予定ではなく、暇に気づかされた。退院したら、余裕のある、手帳を使える日々を過ごしたい。


……

一年後現在、手帳は全く使えていません。習慣とはなかなかみにつかないものです。余裕。

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