ようこそ 眠れない夜へ
もう午前2時になったと言うのになかなか寝付けない。
外の冷気に晒され、窓には結露ができている。
冬の静けさに文明の灯りがアクセントを添える。
6畳半の部屋、眠れない俺は天井を見上げる。
真上では電球のフィラメントが燃えんばかりに光っている。
今日は眠れずにこのフィラメントを眺め続けた。
その不安定な灯りにどこか吸い込まれる感じがする。
螺旋状のそれを眺めると、少し動いて見える。
こんな事を考えているうちに、眠れないと言いつつ、目を開けている自分がいることに気づく。
10分が経つ。
やはり眠れない。
今日もまた、果実が1つ実った。
不安、恐怖、失望、悪夢、後悔…これらの果実という果実がこれでもかと言うほど熟していく。
皮肉にも甘くなっていく果実は、負という水分を蓄え、その重みで僕を押し潰そうとする。
日々の負担が重なり、眠れない僕をさらに眠れない世界へと誘ったのだ。
満月のはずの今日も月明かりは厚い雲に消され、光を失った影となって弱々しく空を照らす。
あぁ、もう……いいか…このまま死んでも。
仕事はキツい、一つ終わるとまた一つ仕事が増える。
その繰り返し。
褒められることもなければ休みもない。
これから先の人生の楽しみなど見出せなかった。
そんな考えが頭をよぎった。
(首吊りは嫌だな…)
目が飛び出るって言うし。
何せ窒息は苦しい。
頸動脈を上手く刺せれば、5秒ほどで気を失える。
ただ、5センチほど深く差し込まないと頸動脈までは届かないらしい。
まぁ、やるか、楽になるし。
そう思って重い身体を起こそうとした。
ブー…ブー…
携帯のバイブレーションが鳴った。
杉野からだ。
こいつとは会社の同期でプレゼンではペアだった。
明るくて、仕事ができて、そんな奴からこんな遅い時間に電話か?
まぁ、多分酔い潰れたんだろう。
車を出してくれるか?そんな事だろう。
どうせあいつなら夜中でも起きてる。そう思われて電話してきたに違いない。
まぁ、いっか。
聞いてやるか。
死ぬ前に最期に聞く親友の声だ。
通話ボタンを押した。
「もしもし?杉野か?」
「……………」
「もしもし?」
「……………」
「おい、杉野?」
「何かあったのか?」
「ごめんな…俺…もう限界だわ…」
「は?どーしたんだよ急に」
予想もしてなかった言葉が杉野から出てきた。
何だよ限界って。
あいつこんな奴だったか?
「ごめんな、最期にお前だけに伝えたかったんだよ」
「おい、杉野、まさか自殺するんじゃねぇよな?」
「お前は死ぬなよ?俺が死んでも」
杉野が言った。
「ふっ、ハハッ、あー、可笑しいw」
俺は腹を抱えて笑った。
「おい、何笑ってんだよ、俺は本気で言ってるんだぞ?」
「いやー、俺も死のうと思ってたんだよ、たった今」
「長谷川も死のうと思ってたのかよ?」
「あぁ、そうだよ。杉野は首吊りか?」
「あー、そのつもりだ。ロープは買ったんだぜ」
「おいおい、首吊りは見つかった時が何とも言えぬ醜態らしいぜ」
「でも、1番手っ取り早くないか?」
「んー、俺は頸動脈切ろうとしてるけどな」
「長谷川?でも、意外と深い場所にあるんじゃなかったっけ?頸動脈って」
「アイスピックでやれば届くと思うんだけどな〜」
「なるほど、俺も頚動脈にしよっかな〜」
「おいおい、杉野。俺はお前に死んでほしくねぇーぞ?w」
「何だよ、死にたい奴にアドバイスくれてるのはお前じゃねぇーかよ」
「いやいや、俺がやろうとしてること言っただけじゃねーかよ」
「おいおい、長谷川、何で自殺に本気になってんだよ」
笑いながら杉野が言った。
「人生の最期なんだから苦しくない方がいいだろ?」
「だから、お前は死ぬなって長谷川」
「落ち着け落ち着け?」
「餅つけ餅つけ」
「何だよ、乗ってくれるのかよw」
「お前も死ぬ直前とは思えないボケ振ってきたなw」
さっきまでの空気はどこへ行ったのか、2人は笑った。
やけに長く。
お互いの行動を宥めるかのように。
「杉野?起きてるか?」
「ふぁ〜…眠くなってきたわ」
「明日朝早いしな、寝るわ。おやすみ」
「おいおい、死ぬんじゃねーのかよ?w」
「明日の夜死ぬわ、今日はもういいや」
「何だそれ、まぁ、俺も今日は寝るわ。やり残したこともあるしな」
「明日は本部で作業らしいぜ?」
「マジかよ、、、死にてえ〜w」
そこで電話は切れた。
翌日、いつもと同じように仕事をして、同じように眠れない。
そして真夜中、フィラメントへと吸い込まれそうになる時、また杉野から電話がかかってくる。
「なぁ、俺…死にてぇよ」
こんな日々を何ヶ月も過ごした。
杉野からは毎晩電話が来る。
電話の中では愚痴を吐くようになった。
眠れない俺たちはこの会話で傷を舐め合った。
なんだかんだで2人とも生きていた。
死ぬなんてことが冗談になってきた。
でも、その冗談が冗談でなくなる時が来た。
杉野俊也 ー享年27歳ー
会社へ来る途中、彼は事故で命を失った。
何の感情も湧かぬまま葬儀を終え、家に帰った。
そのままベッドの上にただ寝転び、フィラメントを見つめる。
今日は電話がかかってこなかった。
今になってようやく杉野の死を実感した。
悲しみなのか、怒りなのか、渦となった感情が心の中を駆け巡る。
毎日睨めっこしたフィラメントが儚げに点滅した。
窓も開けていないのに背中に冷たい風が吹いてきた。
その風は、やけに気持ち悪く心の中を不快にさせた。
まだ眠れない夜は続く。
今日は、初めて自分から電話をかけた。
杉野はなぜか、電話に出なかった。
暫くすると留守電に切り替わった。
「ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお話しください」
ピーーーーーーー
黙祷の時に流れる音のようだった。
「おい、杉野、俺…死にてぇよ」
「あー、でも首吊りは嫌だな。見つかった時が何とも言えぬ醜態らしいぜ」
「やっぱ、頚動脈刺すのが手っ取り早くていいのかなー?」
「あー…でもさ、溺死が1番辛いっていうけど、実は事故死が1番辛いらしいぜ」
「これ、長谷川ってやつが実際に体験したらしいんだけど、やっぱり辛いらしい」
「何より、事故で死んだ奴の友達がめっちゃ辛いらしいぜ」
「俺はまだ死なねーけどよ、やっぱり死ぬんなら自分の望む死に方で死にてーよな」
「まぁ、俺は誰かさんにたとえ俺が死んでもお前は死ぬなよって言われちまったからさ、死ねねーんだわ」
「あと80年くらいは話せねーかもしれねぇけどな」
「じゃあ、またな……」
電話を切った後、スマホを地面に投げつけた。
はぁ、眠れない夜が続く。
「杉野、最悪だな。眠るなんて」
壊れかけのフィラメントに言葉を呟いた。
窓を少し開ける。
冷たい風が吹くが、どことなく心地よかった。
あぁ、眠れない。
これほど嬉しいことがあるだろうか。
終