見出し画像

嘘と静寂

※この作品を読み終えたら、もう一度冒頭部分を読んで下さい。



貴方の横で、少しだけ背伸びをした。

散り行く花火を同じスピードで見ていたかったから。

「これは、俺が作った花火ですよ」

背伸びしてようやく届いた目線の中に入る。

花火を見つめている皺の刻まれた貴方の目を覗いた。

その半透明の瞳の中に、花火の煙が映った。

灰色が瞳に入り、さっと渦を巻いた後その灰は深く、深く染まり、夜の闇と同化した。

屋台が明るすぎるせいか、夜が来るのが少し遅いと錯覚していた。

その夜、父は、亡くした記憶で何を思ったのだろうか。

虚げに瞬く瞳に答えを問いたかった。

でも、その瞳は答えてくれそうになかった。

代わりに、刻まれた皺の隙間を縫って、液体が溢れ出した。

その液体は、文明の創った灯りを妖げに反射させ、ガラスの様に透明だった。

その透明は、同じ液体であるガラスよりも脆く、すぐにでも割れてしまいそうだった。

それも、父が溢れるのを堪えているからか、一滴一滴に重みを感じた。

まるで、自分の記憶を護っているかの様に。忘れては行けないと記憶する様に。


「父さん、もういいよ」

その声と共に花火は煙となった。

心の引っ掛かりが取れた。

湿った空気の中を、季節外れの北風が吹き、草が揺れた。


長く…長く…。






ー5年前ー

工房で働き始めた頃のことだった。


「なぁ父さん、ちょっとは教えてくれないか?」

「だから…俺の作った玉を見ろ。何回も言わせんじゃねぇーよ」

「わかるわけねぇだろ」



父の花火工房の跡を継ぐための修行だ。

幼い頃から、「作ってみたい!」と言っても

「お前には未だ早ぇーよ」

この返事しか返ってこなかった。

それを聞いて少し拗ねる俺を見て楽しいのか、父は笑う。

このやりとりが終わると、父はまた作業に集中する。

そんな父の背中を見て育ったからか、仕事に打ち込むと飯も忘れるほどになった。

頑固なのも父親譲りなのかもしれない。




俺は、物心ついた時から母親はいなかった。

こんな性格の父だから、母が出て行ったのも分かる気がする。


職が花火師だからか、父の稼ぎはあまり無かった。

「ねぇ、父さん?」

「何でお金が稼げないのに花火師やってるの?」

幼い頃、父に聞いたことがある。
 

「いいか、大事なのは稼ぎじゃねぇーんだ」


いつになく真剣な目をして父が言った。


「誰か1人でも感動させられる様な花火を作ることが、1番大切なんだ」


この言葉は、次の日の夏祭りですぐに理解した。

和気藹々として、騒がしい夏祭りの雰囲気も、花火が上がる、その瞬間だけは一瞬の静けさが訪れる。

その音には、光には、見るものを魅了する何かがある。

父が言っていたのはこれだった。

「俺も早く、花火師になりたい」

そう思った瞬間だった。





そして時は過ぎ、父の工房で働き始めた。


「なぁ父さん、ちょっとは教えてくれないか?」

「だから…俺の作った玉を見ろ。何回も言わせんじゃねぇーよ」

「わかるわけねぇだろ」


こんな会話を繰り返す。


たが、今年はこんな会話をしていない。




6月半ば、父が硬膜下出血で倒れた。


幸いにも手術は成功し、ICUで1週間ほど過ごして回復へ向かった。

しかし、出血した場所が悪く一部の記憶がなくなった。






ー7月ー

木々の緑が澄んだ翠となり、時折爽やかな風が体をくすぐる様になった。

白昼の中で照りつける日差しも翠の影に隠れて淡いものとなる。


そんな事を工房から見る景色を眺めて思った。



俺は父が倒れたあの日以来、父の代わりに工房長として従業員と共に働いていた。


父の記憶は未だに全ては戻っていないが、歩けるほどの体力は回復した。


だから、今日の午後に退院してくる。


「おぃ、蒼佑。こんなとこで何しとる」


父の声がした。

俺の名前は覚えているのだろうか。

でも、花火師であることは忘れているみたいだ。


「仕事だよ、花火作ってるんだ」

歩き方も未だぎこちない父に言う。


「そうか…花火師か…蒼佑は花火作っとったのか」

「あぁ、そうだよ。来週が本番だからな」

「気合い入れてやらないとな」

力こぶを作って少しニヤついて父に言ってみせた。


「蒼佑、辞めぃ。そげんな仕事」

「花火師なんて夏しか仕事がないじゃろ?」

「とても収入なんて安定せん。花火はよく知らないがな」


いつになく厳しい目で父が言った。



俺は文字通り唖然とした。

父は自分が花火師であったことも忘れている。

それに加えて…あの日、僕が聞いた答えとは違う答えが返ってきた。


「父さん…大事なのは稼ぎじゃないんだ」

「誰か1人でも感動させられる様な花火を作ることが、1番大切なんだ」

「父さんがそう言ったんじゃないか」


誰かから借りた言葉をそのまま父に放った。



ガッハッハと大声を上げて父が急に笑った。


「冗談だ、蒼佑!」

「ほら、手止めてねぇーで、さっさとやれ」

笑いながら父が指示を出す。


父が戻ってきた以上は父が工房長だ。

周りの従業員も、父が戻ってきたことに安堵したのか、一段と気合が入る。


「さぁ、俺もやっか」

父が火薬を運びながら言う。


「なぁ、蒼佑、ここはどうやって付けるんだ?」

「え?ただの溶接だよ」

「あぁ、そうだ…すまんすまん…あー、倒れて…鈍っちまったな」


また笑いながら父は言う。




俺はこの瞬間に悟った。

父の記憶など戻っちゃいない。

簡単な作業も忘れてる。

普段はあんな笑い方をしない。


それでも、嘘をついてでも、無理矢理に作業に入っている。


「父さん、全然ちげーよ、ぶっ倒れてボケちまったのか?」

「おぉ、そうだな、蒼佑や、ここんところ教えてくれねーか?」


立場が逆だ。

「んじゃ、まずは俺の作った玉を見ろ。」


父に言い放つ。


「わかるわけねーだろ?ちゃんと教えてくれよ」


「だから…俺の作った玉を見ろ。何回も言わせんじゃねぇーよ」


父に悟られないよう、笑いながら答える。

恐らく、父にはバレていない。

父も恐らく、俺にバレていないと思っているだろう。


そんな会話を1週間繰り返すと、気づけば夏祭りの日が来ていた。



「父さん、1発目。俺の作った玉が上がるんだ」

「おぉ、そうなのか、楽しみじゃのう」
 

やはりぎこちなく、ガッハッハと笑って父が答える。



1発目は、大きな意味がある。


和気藹々として、騒がしい夏祭りの雰囲気も、花火が上がる、その瞬間だけは一瞬の静けさが訪れる。

その音には、光には、見るものを魅了する何かがある。


湿気の残る蒸し暑い夜の中、屋台の並んだ道に人混みが集る。


1週間も経たずに死ぬであろう蝉も、懸命に鳴き続ける。


さっと時計を見る。


ー20時00分ー

花火の予定時刻だ。


隣には父がいる。

長年の作業で剥けた皮が強張り、樫の様になった手。

歳に似合わぬほど伸び切った背中。

仕事のストレスからか、不恰好に伸びた無数の白髪。

先の解れた紺のジャージ。


さぁ、そろそろだ。


ドンっ!

花火が打ち上がった。



一瞬の静寂が訪れる。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?