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東南亜細亜見聞録 序

前書

 きっかけは9月の18日くらいに中国でにいる友人が「29から暇やな。だれか来ん?」というようなことをSNSに投稿していた。元々10月くらいにアジアらへんをへ巡る予定にしていたので前倒しで乗っかることにした。ビザ取得RTAみたいなことをやってみたのだが結局ビザは取れず(予約に空き枠がなかった)ヘニョヘニョになり航空券代25000円をスルーイングザドブする結果になった。しかしながらビザ取得のスケジュール感覚や手続きは分かったし、決して無駄にはなってない。「爆発した二号エンジンの残したデータの内容には満足してます。次は失敗しません。ご期待ください。」ということで中国への未練はここに断つ。リベンジは来年1月17~24にかけて行う。

 しかしながら旅にはでたい。めちゃくちゃ出たいのだ。
 前回の雑記から私の心には「旅をしたい」という思いが生まれつつあった。もともと大学院終了時にアルメニアへ行く予定だったが様々な事情があって断念していた。そのことが今なお心残りとして引っかかっている。またひさしぶりに読んだ村上春樹の「遠い太鼓」。これが決定打になった。本文を引用する。

四十というのは一つの大きな転換点であって、それは何かをとり、何かをあとに置いていくことなのだ、と。そしてその精神的組み換えが終わってしまったあとでは好むと好まざるとに関わらず、もうあともどりはできない。(中略)それは前にしか進まない歯車なのだ。僕は漠然とそう感じていた。

(中略)

それも、僕が外国に出ようと思った理由の一つだった。(中略)僕は言うなれば、本当にありありとした、手応えのある生の時間を自分の中にほしかったし、それは日本にいては果たし得ないことであるように感じたのだ。

 私は来年30になるのだが、29で、無職で、フラフラしている。村上春樹氏の置かれていた状況とは全然違うが『遠い太鼓』を今になって再読して「20代の大きな心残りを30に持ち越したくない」という思いが、固まるというか、明確になったのである。

 本当ならアルメニアに行くのが一番よい。しかしながら資金的状況や国際情勢が許さない。(これを書いている数週間前、アルメニアはアゼルバイジャンと国境戦争をして敗戦した。)アルメニアを除いて行きたいと思ったのはカシュガルである。ウイグル自治区の端っこにあってキルギスとかが近い。しかしながらビザの都合上厳しい。なので誕生日前にこちらは改めてリベンジを行うことにして、まずはハード目の海外になじむ旅をしようと思った。

 候補地はいくつかあったがやすいに越したことはない。英語もあやしいのでタイを選んだが直前なので航空券が高くなっており、ベトナムを検索したら往復保険込み4万弱だったので早速申し込んだ。

 折角なら陸路でホーチミンまでいき、カンボジアを抜けてタイにも行くか、と思ったので鉄道も予約した。1万ちょい(阿呆列車に倣って行きは1等)でホーチミンにいけるのだ。タイはこないだ行ってた友人がおり、スクンビットで綺麗なお姉さんを見て目の保養をしてたらしいので自分もそこは助平ごころを出して見ておこうと思う。あくまで見るだけ。感染症とかこわいし。

そのあとラオスへ抜けて、ベトナムへ戻って、帰国する予定である。どうなるかわからないが、どうなるかわからないこそ楽しいというのもある。

 とりあえず、海外旅行経験値が少ないので、経験値稼ぎの旅ということで諸国漫遊し、見たもの聞いたもの書き留めて行こうと思う。諸兄諸姉に置かれては、役には立たないと思うが、暇つぶしの一文としてお読みいただければ幸いである。
なむなむ。

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