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一度しか読めない本。『僕愛/君愛』

『僕が愛したすべての君へ』

『君を愛したひとりの僕へ』

おすすめされて読んだこの2冊。
どちらから読んでも良く、読む順番で感想が変わるという一風変わった作品だ。

平行世界をテーマにした恋愛小説で、主人公の暦(こよみ)の生涯を描く。
暦の両親は離婚しており、母親に引き取られた世界線が『僕愛』、父親に引き取られた世界線が『君愛』である。
わたしは『僕愛』→『君愛』の順番で読んだ。

平行世界に行ける設定などがなかなかに難解で、「そういうものなんだ」と割り切ることが出来ない人は受け付けないかもしれない。
2作品の平行世界の整合性をその難解さから上手く図ることが出来なかった。

平行世界は無限に続いており、0番(オリジナル)と1番(ひとつ隣の世界)はほんの小さな違いだが、100番では全く違う人生を歩んでいる。人は0番と1番など近い番号の平行世界を無意識のうちに行き来しており、それに気が付かず生活している。

『僕愛』の世界線ではヒロイン和音(かずね)と結ばれるが、デートや結婚などの『幸せな瞬間』を体験しているのはいったい0番の僕なのか、それとも1番の僕なのか、というテーマを軸に物語は進んでいく。

一方『君愛』の世界線ではヒロイン栞(しおり)と出会い恋に落ちるが、暦と栞の親同士が再婚することになり、2人は兄妹となってしまう。(再婚同士の連れ子は結婚が出来ることを知らず)それに反発し、平行世界への逃避行を図る。

『僕愛』から読み始めたわたしは和音が不憫でならなかった。
『君愛』では暦の同僚として登場するのだが、とある理由から栞の為に平行世界についての研究を生涯をかけて続ける暦を1番近くで支え続ける。

NTRみたいな感覚だった。暦も栞もなんにも悪くない。NTRなんて概念は一切作中に登場しないし、そもそも平行世界同士は干渉しないのでNTRにもならない。

恋人同士が戯れでするような、「わたしたちって出会わなければどんな生活をしていたんだろうね?」というもしも話が、平行世界というものが成立している世界観で現実のものとして描かれている。「僕たちは必ず出会って恋に落ちるよ。」なんて期待した答えではない、出会わなければ他の人を好きになります。というリアルな物語を見せつけられているような気持ちになってしまったのだ。

しかしながらこんな気持ちになってしまうのも、
『僕が愛したすべての君へ』→『君を愛したひとりの僕へ』の順番で読んだからに他ならない。逆から読み始めれば良かったと思う後悔を、何気なく目に止まった方から読み始めた時のわたしは予想することなんて出来ない。平行世界の分岐点に立たされていたかのような感覚だ。
『君愛』から読み始めた平行世界のわたしは、どんな感想を書いているのだろう。

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