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いっぱいのありがとうを込めて。

祖母がなくなってから半年以上たった。人が亡くなる時最後まで残るものは聴覚。人が一番最初に忘れるものも聴覚。そんな話を思い出した。 私は半年しか経ってないから忘れていないだけなのかもしれないけれど、祖母の声も、顔も私は沢山沢山覚えている。 かっぱ寿司に行って、オニオンアボカドサーモンを食べてたことも、一緒に温泉に行って私にカバンをプレゼントしてくれたこと。食べきれないご飯を持ち帰って夜ご飯、おやつにしてたこと。振袖を選ぶ時に私を見て、綺麗だねえって微笑みながら手を握ってくれたこ

    • これから

      従姉妹と会って叔母さんと会って自分の心境が変わった話。 祖母の死をきっかけに集まった私たち。一緒にご飯を食べて、お話をした。私は映像関係の大学に行っているのだけれど、従姉妹も同じだった。 私の従姉妹は3人姉妹で3人とも留学していたり、今アメリカに通っていたり、住んでいたりする。私は大学に行ってたくさんの刺激を貰った。とても映像作るのが上手い子、アイディアが奇抜な子、飛び抜けてセンスがいい子。その大学で私は昔から抱えている悩みにぶつかった。 それは、 「その技術、凄いね

      • たくさんのありがとう

        9月10日 祖母が息を引き取りました。85歳でした。涙はあまり出なかった。ただ、幸せだったこと、楽しかったこと、色んな思い出を思い出した。 10日、私は自動車学校の帰りで今夜が山場と知らされた。この日は元々友達と夜ご飯に行く予定だったがキャンセルし、家へ帰った。バスをおり、家まで走って帰宅すると、父と母は意外にも「走って帰ってきたの?」と、焦りなんてまるでないような、あっけらかんとした感じでそう言ってきた。「お姉ちゃん間に合うかな?ギリギリなんだよね。」とテレビを見る母。そ

        • 葛藤。

          昨日、自動車学校の帰りの車で母に告げられた 「おばあちゃんね。今月いっぱいかもしれない。」 痴呆症の為施設に入っている祖母は1~2週間前から体調不良で熱と嘔吐を繰り返しているらしかった。どうやらその熱や嘔吐、意識の混濁は肝臓からきているものらしい。元々、祖母の小学生の頃は注射の針を変えることなく全員同じ針で注射を行っていたらしい。それにより、祖母はC型肝炎を患っていた。 母のその言葉を聞いた時、「へぇ。そうなんだ。」とどこか他人事のように感じた。私には祖父という存在はお

        いっぱいのありがとうを込めて。