たくさんのありがとう

9月10日 祖母が息を引き取りました。85歳でした。涙はあまり出なかった。ただ、幸せだったこと、楽しかったこと、色んな思い出を思い出した。

10日、私は自動車学校の帰りで今夜が山場と知らされた。この日は元々友達と夜ご飯に行く予定だったがキャンセルし、家へ帰った。バスをおり、家まで走って帰宅すると、父と母は意外にも「走って帰ってきたの?」と、焦りなんてまるでないような、あっけらかんとした感じでそう言ってきた。「お姉ちゃん間に合うかな?ギリギリなんだよね。」とテレビを見る母。それから20分後電話がかかってきて「おばあちゃんの呼吸が止まりました。」と告げられた。

それから大急ぎでホームに向かいおばあちゃんの部屋へたどり着くともう祖母は息を引き取った後だった。

お母さんは「間に合わせられなかった。ごめんね。」と私に言ったけれど私はどうして20分もテレビを見ていたの?私はこんなに急いで帰ってきたのに?何をのんきにしているの?と疑問だらけだったが祖母の顔を見ると何も考えられなくなった。そして呆然と立っていると、「久しぶりだね。触ってあげな。まだ暖かいから。」と見知らぬ人に言われた。(後からお母さんに叔父さんだよ。久しぶりにあったでしょと言われて納得した)

祖母は戦い終わった後の顔をしていた。祖母の手に触れるとほんの少し暖かかった。暖かいというか、温もりを感じられた。本当に死んでしまったのかなんて分からないくらいただ眠っている顔。そして祖母の温もりを感じた私は祖母に「今までありがとう。おばあちゃん。お疲れ様。」と声をかけ、頬を撫でた。それから、従姉妹が来た。久しぶりに顔を合わせた。医者さんの到着や霊柩車の到着を待つ間祖母のクローゼットの写真を母と、姉兄、叔母、従姉妹と見て、祖母たちの思い出を沢山聞いた。写真に写っている母は今の私に凄くそっくりでびっくりした。(私が写真に写ったと言っても過言ではないくらい。)そんなこんなでお医者さんが来て、霊柩車が来て、死亡確認後、お寺へ行き、次の日の段取りなど決めた。

次の日のお通夜は住職さんにお通夜の意味を聞いたり、従姉妹達とご飯に行ったり、祖母の顔を見た。ゴキブリもいたし、ヤモリもいて凄い昆虫が多かったので従姉妹はずっと落ち着かない様子だった。祖母は死化粧をしたのだが、口紅がとても似合っていてとても綺麗だった。詰め物もしたけれどみんなその量に驚いていた。亡くなって2日目の祖母の顔は昨日と違い、とても安らかだった。眠っているみたいに綺麗で、いつか目を覚ますのではないか。また私の名前を呼んでくれたりしないかな。なんて考えるくらいだ。祖母の顔は安らかで化粧も似合っていて若返ったみたいでとても綺麗だった。

そしてその次の日には葬儀をしてみんなで花を棺に詰めたり、写真を入れ、触れるのが最後だと言われたのでみんなで触れた。火葬場へ着くと、待合室で私の小さい頃の話、従姉妹達の話で盛り上がった。焼きあがった後の祖母の骨をみんなで拾った。私は曾お祖母さんの時にも拾ったことがあって覚えていたのでそこまで驚きはなかったけれど、肉体が骨になるのはやはり感じるものがあるなと思った。


祖母が危ういと聞いた時はとても悲しく、受け入れられずに毎日泣いていたけれど、いざその時になれば涙は出なかった。自分の中の祖母との思い出は色褪せるとこなく刻まれているんだなと思った。そして、母から学んだ物腰の柔らかさは祖母譲りであることも何となくわかった。祖母がいつも笑顔で見守ってくれたから、物腰柔らかだったから今、私にそれが受け継がれているのだと思った。直接的な思い出だけではなく、間接的にも影響していると思った。ありがとう。おばあちゃん。これからも前を向いて歩かなくちゃと思えたよ。失ってからたくさんのものを貰っていたこともわかったし、それが母、私、と受け継がれているのだとわかった。祖母の優しさに触れる機会だった。ありがとう。お疲れ様。ゆっくり休んで下さい。優しい優しいおばあちゃん。

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