葛藤。

昨日、自動車学校の帰りの車で母に告げられた

「おばあちゃんね。今月いっぱいかもしれない。」

痴呆症の為施設に入っている祖母は1~2週間前から体調不良で熱と嘔吐を繰り返しているらしかった。どうやらその熱や嘔吐、意識の混濁は肝臓からきているものらしい。元々、祖母の小学生の頃は注射の針を変えることなく全員同じ針で注射を行っていたらしい。それにより、祖母はC型肝炎を患っていた。

母のその言葉を聞いた時、「へぇ。そうなんだ。」とどこか他人事のように感じた。私には祖父という存在はおらず、一緒に出かけたりご飯を食べたりお小遣いを貰うのは祖母だった。火曜日は買い物に行ってお昼を食べるのは習慣だったし、土曜にご飯に誘われて一緒にお寿司を食べたりすることもあった。その度に祖母は、私たち兄弟にどこに行きたい?と聞き、希望に従ってくれた。祖母が作ってくれたフルーツが入ったサラダを貰うこともあったし、自分の家に人を招くことができない時は母に内緒で近くの祖母の家に招いて遊んだこともあった。どんなときも明るくて笑顔で喋り始めたら止まらないとても優しい祖母が私は大好きだったし、祖母も3人兄弟の中で私をいたく気に入ってくれていた。施設に入ってからもご飯を食べに出かけたり、お茶をしに行くくらい仲が良かった。施設に行くたびに、手を握ってくれて隣に座ってくれて私のことをじっとみてくれていた。会話のない間が私には恥ずかしかったし落ち着かなかったけれど元気そうに笑う祖母を見た時に私も笑顔になった。そんな祖母が後1ヶ月持たないかもしれない。私はなんとも言えない気持ちに襲われた。

それから母は「昨日施設に行ってお医者さんから話を聞いたの。点滴を入れてもそれは延命処置にしか過ぎないんだって。回復する人もいるけれど、回復したところで今までどうり普通に飲み込んだりは出来ないの。」と話した。「命の制限を決めなければならない部分もあるのよ。私はおばあちゃんを点滴をしてでも苦しんで長く生かせる意味があるとは思わないの。あなたはどう思う?」と聞かれた。私は「点滴が切れたら死んじゃうなんて嫌だ。そこまでして長く生かしてあげたいとも思わないよ。でももし、私の意見が変わって兄や姉の意見が延命処置をして行き続けてもらう。って選択肢になってもそれを家族の総意にはして欲しくない。私には決められない。」と答えた。母は「それは命を背負う責任があなたたちには持てないからだよね。でももし、お母さんやお父さんがそうなったら決めるのはあなたたちなんだよ。」と言った。その時私は、もし両親がそうなったら選択なんてできないだろうなと思ったし、私は3番目だからと目を背ける自分が想像出来た。母はそんな私を気にもせず「だからね。おばあちゃんに会えるだけ会っときなさい。後悔を残さないようにね。」と泣きながら言った。私は「後悔残らないなんて無理だよ。残るに決まってる。」と泣きそうになりながら言った。母は「そうだよ。でも過去の後悔を変えることは出来ないからもっと会っとけば良かったと思わないように存分にあっておきなさい。」と優しい声で言った。その時私は死んだ人が最後に失われる感覚は聴覚だ。と言うどこで見たのか聞いたのかも分からない記事を思い出した。最後はたくさんのありがとうを笑顔で伝えよう。と心に決めた。そんなことをぼんやり考えていると母は

「おばあちゃんね、点滴をしてもらう時もね抜いてもらう時もね、必ずありがとうって言うのよ。聞こえてるかも分からない掠れた声で。どんなときでもありがとうって言える人間にならなきゃいけないなって思った。」と泣きながら言った。

その横顔は凄く綺麗で今でも鮮明に覚えている。

家に帰って、母に私には今の3つの気持ちを伝えた。

1つ   自分の中にいる元気なままの祖母の姿で終わらせたい

2つ    お見舞いに行っても私を私として認識してくれるか不安

3つ   祖母が弱っていると言う事実、もうすぐ死んでしまうという現実から目を背けたくてやり場の無い気持ち。

この3つを聞いた母は、「歳の順で逝けてうちは幸せな方だよ。これは人生で通らなければ行けない道だから。元気なままの記憶はダメよ。死んじゃったってことが分からないから。ちゃんと現実をみなさい。人が死ぬということがどういうことか分かるから。」

と私に優しく語りかけた。その時私は曾お祖母さんのお葬式を思い出した。夜葬式場で棺の近くで寝るのをとても嫌がって駄々をこね、ホテルに止まった思い出だ。今考えると中々に失礼なことをしていたと思う。今その状態になれば私は祖母の隣で眠れるだろうか?祖母の亡くなった顔を泣かずに見られるだろうか。そんな自信は到底ない。

今私は、聞いた日の夜から今まで夜になるとずっと泣いてしまっている。永遠に続く幸せがないことを実感したのと同時に祖母との思い出が蘇ってくるのだ。元気の無い祖母に会いたくない自分とも戦っているし、弱々しい祖母を見て私がどうなってしまうのかも分からない。私はどうすればいいのかなんてどうしようも無い考えばかりが浮かぶ。このエッセイも泣きながら書いている。気持ちの整理をつける期間が来たのよと言う母の言葉が頭の中でチラつく。やるせない気持ちと受け要らなければ行けない覚悟。それと向き合う期間だ。泣いてばかりでは行けないけれど、やっぱり涙は流れてしまうもので、止められない。どうするのがいいのか、どう受け入れるのが正解なのか、私にはまるで分からない。

これが今の心境で、低浮上になっている理由。葛藤はまだまだ続きそうだ。

 

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