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「役に立たない」研究の未来

今回は初田哲男・大隈良典・隠岐さや香・柴藤亮介による「『役に立たない』研究の未来」という本についてご紹介したいと思います。

この本では基礎科学のように、一見「役に立たない」ように見える研究も大切であるということ、そして「役に立たない」とされる研究を絶えさせることなく研究を/社会を発展させていくために我々はどうしたらいいのかということが書かれています。

実は今回この記事を執筆している私は博士後期過程進学を決めた修士学生です。近頃研究について真剣に悩む機会が増えました…そんな私が個人的に印象的だった部分の内容と私の感想を少しシェアさせていただきたいと思います。

【科学≠技術 科学≒文化】
科学技術という言葉の普及により、科学は技術のためにある、つまり基礎科学ですら技術に応用されて社会にすぐに貢献することが求められているような風潮があります。
しかし、科学と技術は互いに支え合う密接な関係はありつつも、科学は発見、技術は発明という全く異なる性質を持っており、科学はどちらかというと人間の知を広げる「文化」に近いということが書かれていました。
研究によって新しいことを発見しても、我々の生活がすぐに便利になるものではないけれど、未知の解明/好奇心が満たされていくことにより豊かになっていく…便利さではなく豊かさに貢献する様子は確かに文化に近いなぁと感じました。

【そもそも「役に立つ」とは?】
発見されてからその発見が注目されるようになるまで50年以上かかった研究も存在し、発見された分野とは直接関わらないような思わぬ分野に応用されることも多く存在します。つまり、いつどこでその研究が発展していくのかわかりません。「役に立つ」というのはその時の流行り・社会の形に沿ったものしか評価できません。役に立つ/立たないという線引き自体が曖昧だと言えます。
また、「役に立つ」を選択してそれにだけ投資をするということは目先の便利さ、特に"自分が生きている間に"自分の生活を良くしてほしいという側面が強く、人や社会の余裕のなさが少し表れているように感じました。社会全体として、成果・結果が短いスパンで出されることを期待するような、それ以外にかける時間・お金が勿体無いというような雰囲気です。

私自身、研究の支援を受けるために色々と申請を行う際、"好印象"を得るためには「この研究が役に立ちます」という記載をしなくてはならないという圧力を結構感じます。この研究をしている1番の理由はただの知的好奇心であり「ただただおもしろいからです!」と本当のところは思っているのに、どうにかこうにかして「これが分かればこんなことに応用できるぜ」ってことをアピールしなくてはこの研究の大切さを理解してもらえないような…それは、研究を知らない人に一番理解してもらいやすい指標が、現状「役に立つ/立たない」になってしまっているからだとこの本を読んで思い至りました。

【研究だけ頑張ればいいのか?】
研究者が研究を頑張ることももちろん大切ですが、研究を続けるためには研究費が必要であり、社会の理解がもちろん必要となってきます。基礎研究の必要性の認知が広まることを願うと同時に、我々研究をする側の"理解を広める努力"も必要だなと感じました。
研究の楽しさ、研究の内容をもっとわかりやすく説明・発信し、研究に普段携わらない人にも興味をもってもらう。役に立つ/立たないという指標だけじゃなくて、単純に「これ面白そう!」「こんな視点があったんだ」という好奇心や驚きという指標をプラスで人々に持ってもらうことを目指したいなー♡と思いました。

研究のことをあまり知らなかった人、研究で悩んでいた人、研究のことが気になっていた人などなど、この記事の内容が誰かの考え方にプラスな影響があれば幸いです。

今回ご紹介した本「『役に立たない』研究の未来」は青葉山ガレージに蔵書されています。
気になる方はぜひ読んでみてください🙌


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