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きれいな手

伸びた爪を切ろうと思って、日が差し込むテーブルの隅へ移動した。
左手をかえして親指の爪をパチンと切ると、自分の爪が随分硬くなってきた事に気付く。指を開いて手の甲をまじまじと見てみると、そばかすのようなシミが点々と見える。明るいところで見たからか、指の節まで広がった細かいちりめん皺にも目がいく。

ーあんたの手はきれいやなぁ。
私の手を褒めてくれた母の言葉を思い出す。

「お母さん、私の手もお母さんに似てきたよ。」

***

母はめったに私の事を褒めてくれなかった。
私が言われたかった褒め言葉は「かわいいねぇ。」とか「その髪型、似合うわー」とか「そのかっこ(恰好)、ええやん。」とか。見た目も気にする年ごろだったのもあって、ただシンプルにそう褒めてもらいたかったのだ。

自分がどう見えているのかを、そういう言葉で判別するしか能がなかった。母が一向にそんな言葉を言ってくれない事に対して、そして、遊びに来た友達に躊躇なくその言葉を発する事に対して、静かに傷ついた。
自分は可愛くないのだと言われているような気になり、それは事実なんだろうなと幼心に諦めにも似た感情を持つようになった。

***

当時住んでいたのは2DKの狭い団地で、テレビが置いてある8畳の部屋に私と母と弟、別の6畳の和室に父が寝ていた。大抵弟が先に寝て、私はその横で台所の明かりを頼りに本を読む。そして、まだ家事を終えない母の気配を感じながらいつの間にか眠りにつくのだった。

ある夜のこと。
めずらしく母が布団に入ってきて一緒に横になった。
テレビ以外の電気が消えていて、ブラウン管の青白い光だけが上の方からぼぅっと光っていた。

ーどうしたん?

ーなんでもない。今日はもう寝るわ。

母は、はぁーっと一つ大きく息を吐き、仰向けになった。そして隣の私の手首を取って自分の顔の方へ寄せ、そのまま顔の上にかざすようにして持ち上げた。

ーあんたの手、きれいやなぁ。
 指も細くて、きれいや。

青白い光の下で、私の手が黒いシルエットになっている。

母は続けて、自分の手の事を ”硬くて 太くて 嫌だ” というような事を言った。「あなたの手は綺麗。指は細くて長くて羨ましい。このまま綺麗にしときよ」って。
褒めてくれたことが嬉しくて、綺麗と言ってもらえた自分の手が愛おしく思えた。その時母が泣いているのか分からなかったけれど、言葉が時々震えているのに戸惑った。
母の指の節をころころと撫でながら、「私はお母さんの手好きや。」と言った。その晩は母と手を繋いだまま眠った。

私はこの時のことをずっと忘れられないでいる。
こうして描写できるほどに。

母が褒めてくれたという、少ない体験の一つとして。
不意に、娘の知らない母の顔を見てしまったという戸惑いの記憶として。

+++

今、私は息子に対して、出来るだけたくさんの誉め言葉を投げかける。
嘘や大げさな気持ちからではない、心からの誉め言葉を躊躇なく。
「頑張ったね!」「かっこいいねぇ」「素敵だね!」
息子は褒められるたびに、満足したように"こくっ"と小さくうなずく。

でも、本当にそれだけかな。
それらの言葉の数々を投げかけるたび、幼い私がひょこっと胸の中で足踏みをする。まるで、「私もいるぞ。」と言っているみたい。幼い自分を癒しているみたいだ。

”きれいな手”
そう褒めてくれた母の手に、自分の手が近づいて来た。

節くれだって爪も硬く、ごつっとしてきた私の手。毎日容赦なくこき使われて、少女の面影も何も残さない手になった。それでも愛しいと思えるようになったのは、あのとき母が褒めてくれた記憶と、母と同じ「育てる手」になれたからなのかもしれない。

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