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拾われたんじゃなかった

先日ドラマを見ていて、久しぶりにあるフレーズを思い出した。
”橋の下でひろったきた子”
今となってはもう聞くことのないこの言葉であるが、私が幼い頃は、親が子供に向かってよく戒めや腹立ちまぎれに言い放つ言葉だったのだろう。
私も度々親から聞かされた覚えがある。
テレビの画面を見ながら、そうやったなぁ…と思い出す。

観ていたドラマは「拾われた男」というNHKの番組で、俳優の松尾論さん原作の、ほぼ彼の実話を基にした話をドラマ化したものだった。
ドラマの冒頭、幼少期の象徴的な出来事の場面でこのシーンは出てくる。
松尾さん役の子役に向けて、母親役の石野真子さんが言う。
「あんたはこうして花見をしていたときに、武庫川の土手で拾ってきた子なんやから。」
その言い方は、お茶漬けを食べるぐらいのさらっと軽い言いようで、私が覚えている感じとは全く別のトーンで語られた柔らかいものだったし、拾われたのも「橋の下」ではない。でも、母親の向こうの背景に武庫川にかかる鉄橋が見えていて、私はしっかり橋の下を連想して、懐かしい気持ちになったのだった。

思えば幼稚園の頃には言われていたと記憶している。
当然、最初にその意味をちゃんと理解した衝撃は子供なりに深くて、この家の中で私ひとりが家族ではなかったんだと、とても悲しい気持ちになった。
そういえば心当たりもある。なぜこんなに叱られるのか。なぜこんなに怒りんぼされるのか。その渦中の中にいて原因も理由もさっぱり分からなくなってしまったとき、あ、これは私が拾われたからだったと合点がいった。
因みに、弟はちゃんと母から産まれてきたと知っている。母のお腹がだんだん大きくなり、ある日私だけ叔母に預けられ、家に帰ってきたら赤ちゃんの弟がいた。何よりも明らかだ。

それに子供心にして、私は実は橋の下で拾われたんだよ、とは口外しにくいものだった。誰かに打ち明けるという事も思い浮かばなかった。私はとても大きな、人には言えない秘密を抱えて生きることになったのだ。そしてそれはある種の想像力を養うきっかけにもなった。

些細なことで母にカンカンに怒られている最中、私はこの世のどこかにいる本当の親が迎えに来る日の事を想像した。
ある日団地の玄関のピンポンが鳴る。ドアを開けると見るからに優しそうなおじさんとおばさんが立っている。おばさんは泣いていたりする。おじさんはおばさんの肩を抱いて、私の名を小さく呼ぶ。「迎えに来たよ…。」私はコクリとうなずいて、それから…。

またある時、私は想像の中の橋を探す。
生まれて5、6年の中で思い出せる限りの橋。確か、アルバムの私の赤ちゃんの頃の写真に川の景色が映っていた。まえのお家の近くの、あの川の橋なのかも知れない…。
思い描こうとすると、おばあちゃんが観ていた時代劇の暗く濁った川にかかる橋が想像の邪魔をする。ぶんぶん頭をふって追いやって、橋の下のたもとで、籠の中でおくるみにつつまれている自分の姿を想像する。私の橋の下は人を斬ったりする場所ではない、川の水は透明できれいでなくてはならない。
やっぱりあの川の橋かもしれない、いやそれとも…など考えているうちに、母のカンカンは冷えて収まっている。

橋の下で拾ったというこのフレーズが、私の親世代ではある程度一般的に使われるものだったと気が付いたのは、小学校に上がってからだった。休み時間の何気ない友達との会話の中で、しかもわりに良いお家と想像できるところの子が、自分は橋の下で拾われたらしいと言った。すると教室の中がざわっとなって、その中の数人が、実は私も、おれも、と言い出した。
私は驚いてそれから安堵して、少しがっかりした。
そうなのか、みんな(ではないけれど)言われていたんだ。
秘密の過去は溶けていき、本当の親が迎えに来るかもしれないという、糸のようなものがふっと切れてしまったのが寂しかった。心細い時、親への悔しさが沸くとき、ちょっとその想像にすがるようにしていた自分が確かにいたのだから。

そんなこと、あったなぁ。
私はドラマを観ながらそんな昔のことを懐かしく思い出している。


深夜、先に寝ている息子の顔を覗き込む。
(そのことからは君を守れていると思う)と念のようなものを送ってみる。
いわないよ、そんなこと。
足の先にちょんと触れたら息子が大きく寝返りを打った。
犬がワンと1回吠えた。

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