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二号線

17時の夕陽が辺り一帯を鉛丹色に変えている。まるで空気に色がついているみたいで、手で空を切ったらべったり色が付くのでないかと思うほどだ。この色の空気?大気?が、どこまでこの色のままで届いているのか見てみたくなって、身体を左によじって窓に張り付いてみる。
見える限りの遠くは海の方角で、手前の大橋と島と、その遥か遠くに見える対岸っぽいシルエットの間に凪いだ海がある。建物で視界が抜ける、ふさがるを繰り返しながら、どんどん後ろになる定点の景色を、ぎっと探るように見つめる。
1ミリぐらいのあの対岸でも、多分この色の中と確信めく。

昔から海沿いを走るこの幹線道路が好きだった。
私の住む街は海と山が近いから、地上の線路や道路はほぼ海と平行に通っている。街へ向かう線と、街から戻る平行の二重線は、朝にも夕にも週末にも、電車は満員、道路はほぼ渋滞になる。
渋滞が嫌いな恋人は付き合い出した当初、この道はあまり通りたくないと言った。そもそも渋滞を好きなドライバーというのをあまり聞かないから、彼の意見は至極当たり前だ。申し訳ないと思いつつ、どの道を通ると聞かれるとおずおずと海沿いのこの道を希望する。晴れた日の夕方は特に、海が特別な色になる気がするから。その脇を通れるなら通りたい、渋滞かもしれないけれど。

恋人の運転する車で走ると、同じ道でもどこかくすぐったい。
景色はずっと馴染んできた同じものなのに、車内で聞いているのはAMの野球中継じゃなくてFM802だし、行き先も餃子の王将じゃなくて水族館だったりする。私は競わず助手席に座れるし、赤信号には手を繋いだりもする。

走りながら窓を開けると、風向きによって潮の香りが車内まで入って来ることがある。
潮の上澄みのようなこの感じは、テトラポットの上を歩いた時の匂い。
ちょっとむっとするこの感じは、紫と緑色のもじゃもじゃの海藻みたいなのが、生乾きになってる匂い。
潮って感じじゃなく海が匂うと思うときは、やっぱり赤潮が来てるとニュースが言っている。ね、だから今晩は夜光虫で波打ち際が光るよ、多分。

私は助手席の暢気さで、好き勝手なことを投げかける。渋滞渦中の恋人は、そんなこと考えたことないわと半ばあきれながら笑っている。
今のであなたのあくびを1回消せただろうか。

この道を通るたびに気になっていた場所がある。
海に面して建つ2階建ての建物は、1階がそのまま防波堤分の高さまで駐車場になっている。持ち上がった2階の長方形のピンクの外壁は色が褪せて、ところどころ剥がれたまま長い事放置されているようだった。明るいうちに通ったときはガラガラの駐車場が、夕方を過ぎると看板に灯りが付いて、停まっている車も増える。
ファミリーが行く雰囲気じゃない事は察しがつく。
ではバーかしらと、バーなど行ったこともないくせに宙ぶらりんに想像する。

建物の反対の海側に開いた窓からは、ライトアップされた橋と島の夜景が見えるだろう。黒い海を行きかう船を、数える事もできるはず。
いつも1,2秒で通り過ぎるだけなのに、数秒の注目は数を重ねて私に蓄積されていく。それは少女が成人になる間にずっと繰り返された数秒だから余計、憧れも絡め取ったものになる。
私も誰かと、いつかあそこに。そんな心が酔ったみたいな感情は、若い今の私だけで独占できるものだろう。親に明かさなくても、誰にも渡さなくてもいいものだ。


鉛丹色の夕陽に向かって、二号線を走る。
父の運転から恋人の運転になる。
シートに煙草の焦げ跡がある家の車から、真新しい芳香剤が揺れる恋人の車になる。ずっと通り過ぎてきた場所が、今日の目的地になる。
私は一つの憧れを確かめられるぐらい大人になって、二号線を走っている。


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