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「恋」とは「孤悲」。それでも止められないのが「戀」
人を恋するということは、とっても幸福なことであり、その人の事を想う度に心は踊り、温まり、潤うもの。
まだ少年、少女の時に恋の喜びを知り、そして人は年老いて死ぬまで、その恋の喜びとつきあっていくことになる。
今特に恋する人がいなくとも、かつて恋した記憶が、その人の人生において、潤いとして生き続けていくのも恋の素晴らしさ。
しかし恋というものは、その喜びとともに、哀しみ、寂しさと言う副作用をもたらす。
恋人と別れた時のつらさは言うまでもなく、
恋人に会えない時間のやるせなさは常にあり、
ましてや恋人が他の人に取られそうな気配を感じた時、恋人の些細な冷たい素振り、連絡がない時、いろんなことで心が波立ち、落ち着かない状態になってしまうもの。
一緒にいる時があまりに幸せで、会えない時もお互いの想いが確認できているのなら恋は、これ以上ないくらいの幸せをもたらしてくれるが、その一方、信じられないくらいの孤独感と悲しみをもたらす厄介なものに変わる要素もあり。
だからこそ、恋は数々の物語となり、ドラマとなり、歌となり、人々を共感させ、感動させる。
もしかしたら、なんの心配もいらない、安定した恋は、恋ではないのかもしれない。
「恋」を「孤悲」と呼ぶ。。
なんとも風雅でありつつも、的確な当て字。恋とは「寂しくて悲しいもの」。
その恋という漢字も「戀」が旧漢字。
言葉を糸が挟み心の上に乗っている。
つまり言葉をいくら重ねても糸が絡み合ったように言葉に出来ない心。。
それなら、恋なんかしなければいい。
そんなことを思う人は、恋する人にはいないはず。
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