千里の先にあなたを置いて (閑吟集3)
「君を千里に置いて 今日も酒を飲みて 一人心を慰めん」
逢いたい人に逢えないつらさは、恋をした人ならば誰もが悩むことで、逢えないことをつらく思うようになることが、まさに恋ともいえるだろう。
その逢えないつらさというものは、距離という物理的な障害よりも機会の障害の方が大きな壁となって男と女の前に立ちふさがる。
万葉の時代と違って、行きたい所にすぐに行ける時代。
どんなに遠くに離れていても、その距離を縮める機会さえあればなんら問題が無い。
たとえば男と女のいずれかが、定期的に相手のもとに帰れる機会があるのなら、距離などあってなきもので、それでも距離の長さが心理的に寂しいと言うのなら、夜空の月を眺めて、同じ月の下にいるのだからと思う程度で心は癒されよう。
また数日後に会えるのだから。
それに対して、たとえ隣町にいる人なのに会える機会がないなら、それはまさに千里の先にいるのと同じこと。
それこそ月にいるのとなんら変わらない。
同じ月を眺めているどころか、月に帰ったかぐや姫を偲ぶのと変わらずで、むしろかえって遠くにいるから会えないほうが、距離を言い訳に出来る分まだ楽。
近くにいるのに、会えない時間が長ければ長いほど、恋人が現実にこの世にいる人なのだろうかとすら、思うようになってしまう。
「千里も遠からず 逢わねば咫尺(ししゃく)も千里よなう」
逢えないでいると、たとえわずかな距離でも千里の先にいるように思ってしまう。
昔々、千里が本当に果て無き遥か彼方であった時代でも、恋人たちの心理は同じだったのだ。
こんな切ない想いをする夜は
「君を千里に置いて 今日も酒を飲みて 一人心を慰めん」
あなたに会えないのだからあなたが千里のかなたにいると思って、今日も一人酒を飲みつつ心を慰めよう。
たとえ千里離れていても、機会が稀であろうとも、
共に願っていれば、なんとでもなる。
こうして出会った奇跡のことを思うなら。
ひとたびぴったりとくっつき合った心と体は、また互いに引き寄せあうに違いないと信じつつ。
「君を千里に置いて 今日も酒を飲みて 一人心を慰めん」
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