エネルギーアートクリエイターアオってどんな人?
お名前住んでるところ
経歴
過去の出来事
エネルギーアートクリエイターの誕生まで
リーディングアートを届けたい
私の思想志ビジョン
お名前住んでるところ
本名は島本亜紀です。
作家として活動してる時は本名を名乗ってます
住まいは東京の西の方にある
自然環境が豊かなあきる野市というところです。
東京サマーランドがあるところと言ったらわかるかな😊
経歴
武蔵野美術短期大学工芸デザイン専攻金工コース選択
短大卒が一年その上にある短大の専攻科に進む
予備校の時の先生に工デはいいぞと言われてたのでそのまま選んだけど
ほんま向いてなかった…
しかも短大は彫金しかやらせてもらえなかったので好きなのかもわからず昨日作ってました。
専攻科では自分らしく彫金作品を作り
卒制は優秀賞をもらいました。
卒制はペーパーウエイトでした。
デザインを考えるのに自然の中をウロウロして決定した思い入れのある作品ですが
三年間やった金工は2度とやりたくないものになりました。
キッパリとやめ絵を描く事に方向転換しましたね〜
絵のような刺繍作品を作り始めました
あっ経歴でしたね
1999年初個展青梅市にあるカフェにて
その年より2009年ぐらいまでほぼ毎年多摩地区で個展グループ展をしてました
立川ギャラー新紀元個展2回グループ展一回
刺繍作品展示
国立じゃらんじゃらん小舎個展3回グループ展複数
リメイク服の展示
2017年10月お台場フラワーガーデン展参加
2018年3月お台場フラワーガーデン展参加
5月銀座ギャラリー一枚の絵グループ展参加
2019年11月上野都美術館現創会公募展出展
くさかべ賞受賞会員推挙される
2021年5月銀座ギャラリー美庵個展
10月お台場フラワーガーデン展参加
11月上野都美術館現創会出展
過去の出来事
私は子供の時から太っていて小学校入学してから
とても大変な子供でした。
一人で何もできず、学校行きたくなくて当時は不登校という存在もなく
親が無理やり学校に連れて行ってくれる毎日でした
車もなく毎朝親に手を引かれて投稿してる子供はきっと異様な目で見られたんでしょうね
母はいつも本当にうちの子すいませんですといつも言ってましたね😅
学校内ではトイレが怖くていけなくて何度か漏らしました。
給食も他人と一緒に食事を取るとか怖くてできずじっと座ってました。
とことん変な子供でしたね
唯一好きなのはおうちに帰ってたくさんあるお菓子を食べることと
お絵描きをさする事です
給食嫌だったのは嫌いな牛乳飲むとか見たことないおかずを食べるのが嫌だったのかな
会社経営してたので両親は忙しくお菓子はいつでも食べ放題でした
甘いながらスナック菓子までパクパク食べてましたね
だからデブでした😅
小中ともデブで変な子なので
不当な扱いを受けておりまして
中学は地獄そのものでした
渋々通ってはいたけど皆殺しにするか
自分が死ぬかどちらかしかないくらい
いやーな時代でしたね
デブは人権がないとその時しっかりインプットされました
デブは悪であり生きる価値のない無意味な存在ということの刷り込みがここで強化されました
ここから
高校時代女子高に入り20キロ体重を落としました
男がいると女の子は変な生き物になると
中学で学んだので女子校を選びました
ダイエットはとても辛かったですね
高校生といえば食べ盛りなんで
まああの時痩せたから体型もデブのままでなかったんでしょうが
ところがです
せっかく痩せても私のメンタルは中学の時のままで
デブは悪であり生きる価値のない無意味な存在
のデブを取った部分が刷り込まれていて
痩せても何にも変わらない自分と
20キロ痩せても理想の体ではなく
まだぽちゃっとしてたので
結局デブのままの悲しみが染み渡り
食べ吐きして生きてる人を大学の心理学の授業で聞いた時
これをしたらデブ地獄から抜け出れると思ったのが始まりでした。
デブは悪であり生きる価値のない無意味な存在
呪文のように絶えず脳裏に焼き付き
価値のない無意味な存在が一人歩きした思考癖に陥ってましたね〜
あの頃から
摂食障害を乗り越えるまで
この思考回路を取り外せなかったんです
多分回復したのは
その思考を受け入れてからですね。
長くなったので
続き吐き明日にまたよろしく!