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幸せとは健康である。好きな人の顔をこの目で見れるのは幸せでしょう?

先日、道端の黄色い点字ブロックの上を歩いていてふと思った。

「ああ、僕はこれがなくても家に帰れるんだな」と。

その時に「なんだ。自分は十分幸せじゃないか」と感じたので『自分が今幸せじゃない』と思う人にはぜひ聞いてもらいたい話をしていく。

ああ、別に障害者が不幸だとか言うつもりはない。

ただ『我々はこんなに恵まれているのに、何をそんなに落ち込む必要があるのか』という、健康な人へのエールだ。

幸せとは健康である

目が見える。音が聞こえる。自分の手足を動かせる。好きなものを食べられる。

これって当たり前すぎて忘れているけれど、すげえ幸せですよ。

だって目が見えなかったら?好きな人の顔も見えない。

音が聞こえなかったら。好きな人の声もわからない。

自分で歩けるから自由がある。好きなものを食べれるから元気が出る。

もしも動物だったら目が見えなかったらそれは死だ。たとえ人間でも医療が不十分な国なら、冷遇されるかもしれない。

どうだろう。ちょっとは僕が点字ブロックの上を歩いた時の気持ちが、伝わったんじゃないかな。

好きな人の顔をこの目で見れるのは幸せでしょう?

別に恋人でなくても良い。

家族、友人、あるいはアニメとかアイドル。

それらの顔をこの目で見れるのは幸せだと思いませんか?

場合によってはそれらに触れることができて、話すこともできる。すげえ幸せですよね。

何の不便もなくあつ森で遊べて、鬼滅を楽しめて、カラオケに行って紅蓮華を歌える。

何の不自由もなくLINEの返信を返せる。タイピングができる。

すげえ幸せです。

幸せとはなんなのか

幸せとは金である。

ここまで書いてきたけど、僕はそう思っている。お金があれば資本主義では幸せだ。

あなたは新宿駅に行ったことはあるだろうか。僕はたまに行くが新宿駅の周辺では浮浪者を目にする。

道で寝る彼らの横を、ブランド物を身に付けた親子が通り過ぎていく。

そんな格差の光景がこの日本でも見ることができる。

資本主義の社会は貧しい人が大勢いるから、お金がある人が幸せになれるのだ。

だがGDP3位の経済力を持つ日本は果たして本当に幸せだろうか

僕は自分の価値観に疑問を持った。

スウェーデンとフィンランドのGDPランキング

幸福のイメージがあるこの北欧の国だがGDPでは日本よりずっと下。

ちなみに元祖?幸福の国のブータンなんて下から数えた方が早い。

となると国単位で見ると『お金があれば幸せ』という僕の価値観は怪しい。

じゃあ幸せってなんだろうと考えた結果、このnoteのタイトルだ。

『幸せとは健康である。好きな人の顔をこの目で見れるのは幸せでしょう?』

自分は何もない。と、思うなら『健康だから幸せ』と思うことにしないか?

きっと貯金に100億あっても人間の悩みは消えないし、恋人とうまく付き合えず幸せを感じていないかもしれない。

「どうしていつも恋がうまくいかないんだ!」と思う100億持ちと、特に何もないけど「健康なこの体に感謝しよう」と思う一般人。

幸せなのは多分一般人──と言いたいが僕は綺麗事が嫌いなので100億持ちと言う。

だがしかし『当たり前に感謝できない人間』と『当たり前に感謝できる人間』。僕は後者と友達になりたい。

PS:年末ジャンボを買いました。結果が楽しみですなあ↓


hitono kane de 焼肉 ga kuitai