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ひとと大いなるものと宇宙のつながりのはなし

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#大自然のちから

神秘のはなし

美しいものを見た。 外での仕事を終えて帰宅した夕方。 もうすぐ娘の帰ってくる時間。 ごはんの支度やあれやこれや気持ちは焦るものの、 優先順位がつけられない。 そうだ、お蚕さん、葉っぱまだあるかな? と思い、そばに寄って見てみると、 食べ尽くして、残っているのは乾燥した葉脈ばかり。 みんな元気かな〜と、なんとなく全体を見てみる。 すると、見慣れない様子が目に飛び込んできた。 ひとりのコ。 普通ならば、葉っぱをいっぱい食べて体の外見こそ白いけれども、 うっすら感じる中身

Profile

たかはたあきこ 1979年1月18日生まれ。山羊座。 5才くらいの時、横断歩道を渡っていたら、車にはねられる。 頭を打って痛かったのだけれども、動揺激しい母と、 とんちんかんな質問をたくさんする看護師さんを前に、 頭が痛いと言ったら大変なことになると思って言えなかった。 そんな少し冷めた外からの視点を持つ子どもらしくない子ども時代を過ごす。 母方のおばあちゃんは第六感が敏感なひとだった。 手相や人相にも詳しくて、昔ながらの智慧を携えていた。 そんなおばあちゃんが大好きだ

フラがあったから生きてこられた

ずっと長いこと、フラダンスを習いたいと思っていた。 でも、以前の働き方だと、 毎週決まった曜日の決まった時間をレッスンのために空けておく、 というのが、わたしにはハードルが高くて、 そのために仕事を断ることはしたくないし、 かといって、レッスンを休むのも…となると、実現しなかった。 それが、どういうわけか、 娘がようちえんの年少さんのとき。 仕事よりも、育児に時間もエネルギーも注いでいたとき。 思い返せばわたしのこころと生活の暗黒時代(笑)。 フラのレッスンに通いはじめた。

美しい光景を見た

20才のときに、 16才~18才の高校生12人を引率して、3週間ほどメキシコへ行った。 国際的な組織の日本代表として参加する大規模なセッションだった。 引率者がいないために派遣が中止になると聞いて、 いてもたってもいられず志願した。 わたしも高校生のときに、同じ組織の派遣で、 イギリスに2週間ほど行かせてもらったことがあった。 だから、若者(わたしも十分に若かったけれど 笑)の希望を、 引率者がいないという大人の都合で、潰してしまうのは もったいないし、あってはならないと思

ひとのアンテナのはなし③

3ヶ月つづいた自粛・休校生活。 我が家にはテレビがない。 かれこれ9年。 311の震災のときは、リビングにテレビはまだ置いていたけれども、 「テレビつけて観る」ことがすでにほとんどなかったから、 ぐらぐら揺れる家の中で、 なんだかとんでもない規模の地震が起こった!という現実に、 テレビをつけることを忘れたほど。 こんなとき、どうしたらいいんだっけ???と、 まだ3ヶ月の我が子を抱いて、とりあえず授乳しよう!と自分を落ち着かせ、 はた、と気づいて、そうだ、テレビをつけて震源

ひとのアンテナのはなし②

ラオスから2年ぶりに帰国して、 行きたかった場所は、本屋さん。 書物や情報に飢えていた。 と、思い込んでいた。 焦っていたから。 2年間の空白に。 ラオスから帰国したら、 もうラオス人のような日本人ではなくて、 日本人としか見られないし、 日本人として生活していかなければならなかったから。 だから、なんでもある渋谷の大きな本屋さんに行った。 そしたら、道すがら、なんだかふらふら、ひととぶつかる。 おっと! おっと! そんなことばかり。 まっすぐ歩けてないのか、まっすぐし

ひとのアンテナのはなし

精神的にかなりまいってしまった20代前半。 逃げるように選んだ道は、 中学2年のときに決めていた道。 東南アジアのラオスという国の地方都市(美しい田舎町)で、 2年を過ごすことになった。 中学2年の夏、初めて訪れた外国が東南アジアのタイで、 大きなメコン川の向こうに見えた大地、 「あれはラオスという国だよ」 と一緒に行った誰かが教えてくれた。 その国で、暮らすことになるなんて、 もちろん当時は思ってもみなかった。 でも、つながっていたみたい。 わたしが暮らした町は、首