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ひとのアンテナのはなし


精神的にかなりまいってしまった20代前半。
逃げるように選んだ道は、
中学2年のときに決めていた道。

東南アジアのラオスという国の地方都市(美しい田舎町)で、
2年を過ごすことになった。

中学2年の夏、初めて訪れた外国が東南アジアのタイで、
大きなメコン川の向こうに見えた大地、
「あれはラオスという国だよ」
と一緒に行った誰かが教えてくれた。

その国で、暮らすことになるなんて、
もちろん当時は思ってもみなかった。
でも、つながっていたみたい。

わたしが暮らした町は、首都から山越え500kmの美しい町。
初めて訪れたとき、砂埃が舞い、鶏が歩くその光景に
「懐かしい….」と感じた。

舗装されていない道路。
信号はひとつもない。
車はほとんど走っていない。

お寺がたくさんで、
みんな信心深くて、
精霊信仰も残っていて、
おばあちゃんの知恵袋みたいな生活の基盤があって、
雨が降ったら仕事モードがオフになって、
待ち合わせとかもなかったことになっちゃったり、
何をどうしたらそれがそうなるんだろう、みたいな、
日本人のわたしにはなかなかわからない不思議がたくさんあって、
みんな穏やかで、
たいへんたいへんというわりにはとても幸せそうに暮らしていた。

あいさつは「ハーイ!」みたいなのではまったくなくて、
「どこ行ってきたのー?」「もうごはん食べた?」
あまりに近い関係性の質問に、慣れるのにかなり時間が必要だった。

パイナップルの季節にはパイナップルしか売ってなくて、
トウモロコシの季節にはトウモロコシしか売ってなくて、
町に小麦粉が届かない日は、どこのパン屋さんもパンがない。
豆売りが山のような豆を道路わきに並べて売り始めると、
季節の移り変わりを感じた。

肉は肉屋さんへ行かないと売ってないし、
鶏は一羽で売っているし、
特別なご馳走の日は、大家さんの家の前にアヒルがひもでつながれていた。

満月の日は、朝4時にお寺の太鼓が打たれるから、
布団の中で「あー今日は満月なんだね」とまどろむ。
そして仕事帰りの夕方4時には、お寺の脇に自転車を止めて、
まだとても若いお坊さんたちがたたく太鼓のリズムを聴いた。

壊れたものは直して使うし、必要なものは自分たちの手で作る。

たくさんのあたりまえを、ひとつずつ確認する日々だった。
町を走るわたしの自転車のスピードが速すぎる、と注意された。
そんなに急ぐ必要はどこにもない。
スコールのどしゃ降りの中、ずぶ濡れで仕事場にたどり着いても、
まだ誰も来ていない。
いまなら、雨が弱まるまで家を出ないで待てると思う。

お月さまに見守られて、お日さまの恵みと、雨の恵みと、
とにかく恵みがいっぱいで、知恵がいっぱいだった。
大きなリズムがそこにはあった。
目に見えない助けがいっぱいで、みんながそれをあたりまえに享受していた。

「スワイカンノ」が染み付いていた。
それは「助け合おうね」ということば。
ひとも、自然も、目に見えないものたちも。

わたしも、気づかないうちに感覚が全開になっていた。


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